新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

2021年春…山山堂にて…豊田勇造さんのライブ…第2部

2022-01-26 07:10:45 | ライブ

2021年春…山山堂にて…

豊田勇造さんのライブ…第2部のレポをばだらだらと…

 

まずは、ちょっと不思議な歌を…と…落語が好きなので「寿限無」という落語があって、それを歌にしたと

「寿限無」

生まれた子供がいつまでも元気で長生きできるようにと考えて、とにかく「長い」ものが良いとめちゃ長い名前を付けた、という噺

歌詞はそのまま…寿限無 寿限無 五劫のすりきれ 海砂利水魚の水行末 雲来末  風来末~

この長い名前に曲をつけて歌う…

おお、噛まずにいえちゃうなんて、勇造さん、噺家みたい…

歌の途中で

「タイでいっしょにいった小学生に「おっちゃん、落語が好きで、「寿限無」を最後まで言えるようになりたいのだけども」と言ったら、その子は「「寿限無」がすべて最後まで言える」という…「俺は言えへんでっ」て言ったら、「おっちゃん、歌うたいやろ、そしたら、歌にしてみたらどうや」と言われて、それで歌になったと…「「寿限無」ちょっとずつ早くなってくるから、毎朝、風呂に入るとき一人でやってる」と

「寿限無」の歌が、繰り返しの中で、だんだん早くリズミカルに…で、勇造さん、完全に覚えきってる!!

また、間奏で勇造さんが語る

「桂米團治さんのゲストで呼ばれたときに、「勇造さん、落語にまつわる歌がありますか」って言われて「実はあるんですよ」と桂米團治さんの前で歌ったら、えらく喜んでくれました」

と手拍子にのって、歌はさらに早く、まるで早口言葉

「今日のライブでノレル歌はこれだけです」と

ラストはロックのように畳みかける

最後に、コロナ祓いの手拍子一発

 

 

歌い終えて、勇造さん「大阪の天満宮に「天満天神繁昌亭」がある…俺の夢は「「天満天神繁昌亭」で歌うこと、1曲、これだけでイイから歌わせてほしい」と笑わせて

 

続いては、新曲

インドの真ん中よりちょっと西にある古い遺跡を旅したときにできた歌と

「エローラの丘」

ミャンマーの石窟をテーマに、旅の情景が浮かび上がる勇造さんならではの独特の世界が描かれる…

まさにインドを旅しているような気分になってくる…歌詞やメロディーからひしひしと伝わってくる

しっとりと…まさしく異国情緒溢れる曲調

…曲から伝わってくる壮大なミャンマーの風景…

そうだな、歌のイメージは、豊田勇造さんの曲「花の都ペシャワール」に近い世界観…

 

歌い終えてのMCは、またまた新曲に関する話題

久しぶりにかいた歌がもう1曲あって、インドを旅してても、タイを旅してても、ミャンマーを旅してても、食堂に入ったら「額」があって、そこに英語の詞がかいてあると…その英語の詞のタイトルが 「ザ・パラドックス・オブ・アワーエイジ」…これを日本語に訳したら「俺たちの時代の矛盾」と勇造さん自身は、そう訳していると…で、その詞を、ずっと下まで読んでいったら、その詞を書いた人の名前がのっていて「ダライ・ラマ」とかいてあって、そのことを歌にしたと

 

「ザ・パラドックス・オブ・アワーエイジ」

 

鋭いギターカッティングからくる乾いたギターの響き…歌からは、まさに、世の中の「矛盾」に対する熱さ、激しさが伝わってくる

生きていく中で感じる「矛盾」を飾らない言葉で歌い上げる…

時代はファーストフードのよう…その結果、便利なのに、忙しくなっているとか、感じる矛盾を等身大の言葉で…

いやあ、「ダライ・ラマ」も素晴らしいけど、勇造さんも素晴らしい!!!

 

ここでのMCは

こないだ聞いた話だけど、最近の日本人の死亡率が減っているそうな…そのことについて、ある人が、みんな新型コロナウイルス感染症の蔓延で、医者にかからなくなって、薬を飲む量が少なくなっているからじゃないかと言っていたそうな…今のたくさんの薬で健康を損なう…本当かも知れない…病院に行くと病気になるって言うし…

と、ここで「矛盾」を語りながら

MCの話題を替えて、次の曲につなぐ話題へと…

久しぶりに、山山堂さんで歌をきいてもらっているけど、次の歌は去年の暮れにできて、おとついに最終的にできた歌と

実は、友達のタカシくん、釜石に住んでいるタカシくん、さっき歌った「帰郷」の主人公のタカシくんが、最近出たブルース・スプリングスティーンのCDがものすごくいいと送ってくれたそうな…普通、コピーをしたものを送ってくれることが多いけど、買ったものを、そのまま送ってくれて、これがまた嬉しかったと

で、それを聞いてたらブルース・スプリングスティーンの曲を聴いて1曲作りたいなと…まあ、そのメロディーに日本語詞を載せて替え歌のようなものができたそうな…

で、この歌を12月に京都の磔磔でバンドでやって、それを録画してくれてた人がいて、YOU-TUBEにアップした、そのYOU-TUBEには人工知能のようなものがあって、この歌はブルース・スプリングスティーンの歌とそっくりですって…

 

で、ここからコード進行を替えて、あれこれ変更した新曲ができあがったと…「レター・トゥー・ミー」、タイトルは自分への手紙だけど、本当はみんなの手紙だと

「レター・トゥー・ミー」

新曲なのにどこか懐かしい…そうか、ベースはブルース・スプリングスティーンの曲なのねと感じつつ

歌詞から伝わってくる温かさ

こんなコロナ禍であっても、、いや、だからこそ、人との繋がりが大切だという想いが唄から伝わってくる!!

今、現時点での豊田勇造さんの想いがストレートに過去を振り返りながら綴られる…歌詞がストレートに心に沁みる!沁みる!

 

歌い終えて勇造さん

「ライブの途中に呑むビールは旨い」とビールを呑みながら、しみじみと

「ライブはええなあ…」と一言…

お客さんからの「なんでも好きなんじゃないの」との声が飛ぶと

「嫌いなものもありますよ…最近、嫌いなものは「接待」を「懇談会」と言葉を替えてごまかす人」と返答して

ラスト、あと2曲と

「腹が減ってきたのか、指がよく動く」と

「山」の歌と

「高山病ブルース」

みんなで歌う、「はぁ、はぁ」という荒い呼吸、高山病の症状がとリズムになる「高山病ブルース」…本当は「はぁ、はぁ」と言ってもらいたいけど、コロナ禍なので、ギターが言いますと…

勇造さんの指が動く!動く!!まるで、弦の上を踊っているかのよう…

激しいギターのカッティングに魅了される…

そして、おお、ギターが言ってる、高山病の症状を…「はあ、はあ」と…(笑)

 

そして、もう1曲「山」です…

 

と本編ラストは

「大文字」

まさに勇造さんの名刺代わりの代表曲

「大文字」

♪さあもういっぺん さあもういっぺん 火の消える前に~

京都で大文字の送り火をバックに行われた
イベントコンサート


観客はノレル、ロックのブルースバンドを期待していたところに

ギター1本で登場した
勇造さんに…罵声が嵐のように飛んできた
しかし勇造さんは唄うのを止めなかった…


その時の…歌い続けること…

歌への熱い想い…を
気持ちを吐き出すかのように…歌っている歌だと思うんですけど…


♪さあもういっぺん さあもういっぺん 火の消える前に~

このフレーズが
心に沁みるんですよね!!

 



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ふとこのフレーズに勇気づけられるというか…

聴くもの…おのおのが…心の中で思っている
「さあ、もういっぺん」を共鳴させて
まさに…歌に魂が入っているかのような
感動的な1曲…

この曲を聴けば…
きっと、多くのみなさんが勇造さんにハマっていくのでしょうね…

山山堂さんのワンちゃんも勇造さんにハマったようで、歌に合わせて、サビのところでは吠える!吠える!!あたかも一緒に歌いたいかのように…

 

さてさて、鳴りやまぬ拍手に応えてUN

といっても、勇造さん、ほぼほぼ歌う場所にいたまま…でしたけど…

「犬が感動して吠える!…(笑)…1番いいタイミングで吠えた…嬉しいです!ありがとう!」と勇造さん

UNは2曲、春の歌を歌うと

こうやって人前で歌を歌って旅をするようになったのは1976年から…1976年に150カ所、全国ツアーをしてそのとき初めて名古屋にも歌いに来たと…その時からの縁であるサカモトさんとの個人的な話も挟んで、26歳の時に歌い出したと

北海道から沖縄まで、「ワンナイトスタンド」…名古屋にもきました…七ツ寺共同スタジオで…

ボブディラン、ブルーススプリングスティーン、その人たちも「ワンナイトスタンド」…だけど移動距離が凄い…昨日ロサンジェルス、今日シカゴ、明日はサンフランシスコといったように…

俺の移動距離はちょっと違うと勇造さん

「たとえば、今日が名古屋だったら、明日、岐阜、明後日、中津川といった感じやけど「ワンナイトスタンド」、一晩そこに行ってライブをするということは同じ…

ボブディランやブルーススプリングスティーンも旅で疲れてるんだろうなあと…そんな旅で疲れて帰ってきたときにできた歌…ちょうど今頃の春の歌と

「夜を重ねて」

しっとりとした歌は心に沁みる…

懐かしいな…たぶん初めて聴いたのは20代の頃…八曜舎だったのかもしれないな…

 

続いての曲

 

♪世の中で一番醜いものを 人の心に見て
世の中で一番綺麗なものも 人の心に見る~

このフレーズが強烈に心に残ってて、豊田勇造さんって詩人だな…日本のボブディランやなって、20代の頃に勝手にそう思ったことを思い出した…

 

ここで、次回6月末の、得三でのライブの告知…さらには、ここにも秋か冬にライブをさせていただければ…と語って

ラストの曲は

「桜吹雪」

歌詞からスケッチのように桜の情景が心象風景に描かれる

間もなく、コロナ禍でも関係なく咲き乱れる桜…コロナを知らない「桜」が羨ましく思ったり…「さくら」の頃には、新型コロナウイルスが蔓延して「さくら」ならぬ「まっくら」な気持ちにならぬことを願いつつ、歌に耳を傾ける…

歌い終えて勇造さん、このタイミングでライブをさせてくれた山山堂さんに感謝しつつ

「最近分かったこと、ライブは不急ではないけど不要ではない…NO LIFE NO MUSIC!それで、今日来てくれたんだと思う」とお客さんに感謝の言葉を残してライブは終了となったのでした…

 

70歳を若干過ぎられた勇造さんですが…今でも新しい曲が次々と生まれ、歌う歌(セットリスト)は変わっていくものの、雰囲気は昔となんら変わりはなく…勇造さんから元気をもらえた「山山堂」でのライブ

 

職場にいけば、机上には仕事の「ヤマ、ヤマ」どどっ??ってな感じだけど…

山山堂(やまやまどう)での勇造さんのライブは…私にとっては「良薬」のようなもの…おかげさまで、もう元気いっぱいになったので「ヤマ、ヤマ」どどっ、に立ち向かうぞー!!

ただ、私も年齢的に「元気いっぱい」は持続しない…汗…んですけどね!!

 

 



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