人生いろいろ♪ | 身寄りのないわたしの老後

身寄りのないわたしの老後

どんな未来が待っているのか
ゆっくりじっくり綴っていきます

なかなか思うにまかせないことが多いなと思う。
今は、主に母のことだ。
 
この十年で私はかなり元気になった。
だから母に何かあっても大丈夫、と言い聞かせている。
 
  病気の話しを書きますので、
  お嫌いな方は、またあした   ニコニコ
 
 
 
 
クローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバー
 
体力の落ちていた時期は
(20代後半から40代まで)、
毎日昼寝が欠かせなかった。
 
晩ご飯を作っても、疲れてしまってすぐには食べられず
ちょっと横になってから食べていた。
後片付けをした後は、横になることが多かった。
 
なのに、今は
あまり不安のない日なら、30分も歩ける
(以前は不安で歩けなかった)。
午後の昼寝も毎日は必要ない。
晩ご飯の後片付けのあとに
簡単な台所仕事もできる。
小豆を煮たり、とかほんの簡単なことだけれども。
 
このまま丈夫になっていくような気がする一方で
間もなく還暦だから、自然な体力の衰えが来るのかしら、と
残念な気もする。
 
ほんっとに、人生っていろいろだなぁ。
 
私の、この、なかなか治らない
「パニック障害」と言われている裏にあるものは
なんなのだろう、と考える。
 
結婚が間近な東宮の姫君の
ご病気の発表があってからは、特に。
 
あの発表はキツかった。
全国の似たようなご病気の皆さんも、
それぞれ自分の病歴を改めて考えたりして
一斉に動揺したのが、伝わってきた。
私でさえ、発表以来、不安がひどくて
外に出られなくなっている。
毎日、抗不安剤を飲んでいる、朝から。
母がかつて私にしたこと、言ったことが
フラッシュバックする。
なのに、母はこれから最晩年に入っていく。
私の助けを必要とするようになる。
でも、私の心も体も、母を助けることを
拒否している。
フラッシュバックとなり、あらわれ、
過呼吸や腹痛となって、あらわれる。
 
 
 
 
私が、最初に異変を感じたのは、9歳の時だった。
夏になると、食べ物がまったく喉を通らなくなった。
2年ほど続いたが、治り、次は、18歳のときだった。
映画を観ていたとき。
それから大きな部屋でお話しを聞いていたとき。
息ができなくなった。
その後は、23歳から症状が出たり引っ込んだり。
26歳からはずっと症状が出っぱなし。
 
なかなか辛い時期も多かったけれど、がんばって生きてきましたニコニコ
がんばったね、私。
これからも、ゆるゆるがんばろうね、私ニコニコ

 

 

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今日も楽しくいくまっし♪

 

 

いつお返事が書けるかわからないので。
しばらく、コメント欄は閉じさせていただきますね。