新年最初の投稿がこんな湿っぽい記事になるなんて(涙)。
心が落ち着いたのでようやくブログを更新する気力を取り戻しました、記事タイトルの通りなのですが実家で母親と二人暮らしをしていたミニチュアダックスフンド(♀)が享年16歳で虹の橋を渡りました。
16歳と言うと犬種的にもほぼ寿命を全うしたように思えますが、実は彼女も長い間癌と戦っていたのでした。
癌が発覚した時には既に高齢だったために、積極的な治療を断念し以降はストレスのない穏やかに余生を過ごさせてやる決断をしたのでした。
しかし、末期になると全身に転移した癌のせいで体の原型をとどめないくらいまで腫れ上がっていて、きっと苦しかったのだろうと思うと私たちがだした決断が正しかったのかどうか・・・。
出会った以上、別れはいつか必ず訪れるものだと理解はしているつもりですが、やっぱり辛いですよねぇ。
葬儀は近郊のペット霊園にて行い、お骨になった亡骸は母の意向で合同墓石に納めさせていただきました。
嫁側の実家の庭には歴代のペットの墓石あるので一緒に眠ってもらうことも可能だったのですが、飼い主である母の意向に従う形にしたのですが、飼い主である母も恒例ですし思うところがあったのかもしれませんねぇ。
私が思うに、お骨を持って帰ってしまうといつまでも区切りが付けられなくなるであろう自分に一線を引こうとしたのではないかと。
せめてもの救いに思えるのが、突然の別れにならず周囲もある程度の個々の準備ができていたことではないでしょうか。
迷子で行方不明になったり交通事故に見舞われたり等で別れを迎えることとならず、看病されながらも飼い主と過ごし看取ってもらえたことは彼女もきっと幸せに思っていてくれると信じています。
我家の歴代の愛犬たちは、それが叶わず病院で息を引き取っていることを思うと、きっと飼い主のもとから旅立ちたかったんだろうなぁ。。。きっと無念を抱きながらこの世を後にしたんだと思います、あちらで元気にしてるかなぁ。
そんなことを思いながらも我が家の姫と暮らしていると、いつしか訪れる別れにいろんなことを思いふけってしまう今日この頃な私。
でも、よく考えると健康体の5歳の姫に対して、治療中とは言え2度の癌を患った私。。。年齢的にも犬の5歳よりもはるかに高齢なのは私のほう。
もしかすると、看取ってもらうのは私のほうかもしれませんねぇ。
“できることなら、そうあってほしいなぁ・・・”
いつの時代も残された者って言葉にできないくらい辛いものですものねぇ。
。。。。それならいっそのこと自分が去る側になるも悪くないかなって思う事って罪なんでしょうか。
そんなことよりも先だった御霊のためにも、できるだけ長くこの世に生きながらえなければいけませんよね。
悲しい話題ですが、「前向きに生きてゆかねば」ということを再認識した出来事でした。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。