スラムの片隅から世界を、、【YUMEKAKE/JOHN's diary】

国際協力活動のなかでのマジメな話からゆる~い話まで/海外から日本から

【ロックダウンからの脱出(Ⅲ)】~フィリピン・セブ島ー差別、監視、軟禁、、3・21、あの日、新型コロナウィルスにより突如封鎖された島を、ボクらは脱出した、、、(#アジア人差別とヘイトクライム #ウィルスの次にやってくるもの #海外ボランティア)

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監視と軟禁状態の中、地域の役人や住民から差別を受けているような、こんな場所にいてももう意味がない。

そう判断した自分は、他の地域(隣の市)の仲間に連絡をとり、ボランティアを連れて、支援活動に行くことにした。

もうその時点で、自分らがいたセブ市は、いくつかの行動制限が厳しくなっていたのだが、隣の市(タリサイ)では、まだ大丈夫、とその仲間に言われていた。

彼女は、自分が、フィリピンに来始めた、もう20年近く前に出会った子だった。

NGOはまだ立ち上げてなく、自分は現地の団体にボランティアとして参加し、貧しい子どもたちに毎日炊き出しをする活動をしていた。

その時に、彼女はまだ小学6年生で、いつも、自分の弟(まだ赤ちゃん)を連れて、毎日、食事をしに来ていた。

その後、現在住んでいる隣の市に、彼女が引っ越したり、自分が今のNGOの活動を始めて、また違う地域の支援をメインにしていたりで、ずっと疎遠になっていたのだが、近年、SNSでまた再会し、友好を深め合った。

そんな頃からのつながりなので、とても絆は深く、自分も信頼している。

NGOのメンバーやボランティアではないが、彼女が今住むスラムに対して、彼女のコーディネートで、支援活動をしている。

普段の活動においては、そのスラムは、NGOの事務所から少し離れているので(市は違うのだが、どちらもそれぞれの市の外れにあり、それほど遠くもない)、直接の支援活動はしていないのだが、やはり貧困地域であり、彼女の縁で支援をしている。

そして、彼女が移動の車を手配してくれ、宿舎まで迎えに来てもらった。(自分らは自由に動けないので)

そうして彼女の村に向かったのだが、タリサイにはいくつかのビーチがあり、自分らが出掛けようとしてると、また近所の人が事情聴取のようなことを、スタッフにしていて、通報をしたらしい。

「こんな時期に日本人はタリサイのビーチにみんなで遊びに行きやがった」

と。

そんな話を後で聞いたのだが、もう何も言うことはない。

コロナに侵された人々の心は、救いようがない状態になっていた。

それは、今、その頃からのロックダウンが5ヵ月続く現状とは違う。
今は「コロナ感染への恐怖」は、実際にそこら中にうじゃうじゃしてるウィルスそのものへの充分の現実的な恐怖なのだが、まだ感染者が少なく、ただただコロナウィルスという得体の知れないものがやってくるのを恐れていたその頃は、「コロナは外国からやってくる」ものであり、部外者を極端に恐れる風潮が蔓延していた。

少なくともその地域の人々の間では。

そんなこんなで、セブ市から離れての活動を始めようと動き出した、、

だが、

タイミングはもう既に遅かった。

この日、セブ市だけでなく、フィリピン全土に、いくつかの行動制限があらたに発令された。

昨日まではOKだったことが、今日はもうNGになっている。

もともとフィリピンという国はそういう国なのだが、、、

「この辺は大丈夫」と住民が言った地域に行ったのだが、その住民たちでさえも、政府のいきなりの規制の発令に付いて行けてない。それが混乱したこの国の現実だった。

というか、自分らはここに早朝から来て支援活動をしていて、新たな政府の発令はその後だったし。

また、計画していたこのイベントは、やはりこういう時期なので、あまり目立たないように、少人数で行う予定だったのだが、屋外でのイベントだったので、やはり近所の子どもたちが、どんどん集まってきてしまい、収集がつかなくなり、もちろん充分に目立ってた。それもよくなかったのだろう。

そして、やはり、それを見た誰かが通報したらしい。

子どもたちと一緒に、ゲームをしたり、支援物資を配給したりしている最中に、騒ぎが起きた。

バランガイスタッフ(地域の役人)、ポリス、DOH(フィリピン保健省)の職員等がやってきて、イベントの中止と強制退去を命じてきたのだ。

ただこれは、外国人差別とかではなく、日々、ころころ変わる規制事項に、ひっかかったことが理由なので、DOHから、今日(さっき)新たに発令された規制事項について説明を受け、自分も納得して、とりあえずやることはある程度やらせてもらって、命令に従ったのだが、

手伝ってくれた現地のボランティアとかが逮捕されたりしないよう、バランガイスタッフやDOHと話し、なんとか、何事もなく収めることができた。

フィリピンではこういう場合(結果的に政府の命令を破ったことになる)、本来なら、責任者の拘束や罰金がおかしくないのだが、「地域の子どもたちの支援のため」ということもあり、向こうも納得してくれた。

バランガイスタッフのリーダーが言った。

「こうやって支援してくれるのは嬉しいけど、でもわかってほしい。今は中止させざるを得ないんだ。ごめんな。」と。

いや、、ほんとに仕方ない、、、それがこの新型コロナウィルスに侵され始めた世界の、そしてフィリピンの現実だった。

ころころ取り決めが変わると言えば、子どもたちの学校も、2~3日前は、「来週から休み」とかって言ってたんだけど、ロックダウンの決定で状況が変わり、突然すぐにぜんぶ休みになっていた。

そして、その頃の世界情勢はというと、スペインやイタリアでパンデミックが拡がって、おそらく人類にとって想定外の事態になって行ってた。

また、その前日、ひとりのボランティアが帰国したのだが(もともとの日程で)、その人を空港まで送っていった時には、まだ何もチェックはなかったし、空港も平常通りで、飛行機も普通に飛んでいた。が、

しかし、

この日の前後を境に、フィリピンは、そして自分らを取り巻く状況は、また急激に変わり、

それはどんどん悪くなっていくことになる。

なんだかんだとまた大変だったけど、それでも久しぶりに外に出て自由な息が吸えた開放感も味わうことができた、ほんのひとときだけど、周りの猜疑心を気にせずに子どもたちと笑顔で過ごすことができた、そんなその日の支援活動を終え、宿舎に帰り、メールをチェックすると、

航空券を手配していたフィリピン航空からこんな連絡が。

「ロックダウンにより帰国便のフライトがキャンセルされました」



《(Ⅲ)了。続く、、》

🌈ロックダウンからの脱出 PartⅠ~Ⅵ &「その後」
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自分は、国際協力NGO「HOPE~ハロハロオアシス」の代表を務めています。(詳しくは下記「自己紹介・NGO連絡先」リンクをご参照お願い致します。)
あ。「YUMEKAKE」というのは、NGOの活動のプロジェクト名(YUMEKAKE PROJECT)です。世界の子どもたちの、笑顔と希望と夢の架け橋になりたい、という意味です。

このブログでは、国際協力活動を通しての視点で、海外また国内の、様々な問題や出来事、スラムや難民キャンプの人々の生活、NGOの活動の様子等を、時に真面目に、深く、時にゆるく、書いていきたいと思います。 そして少しでも、皆さまに、世界の様々な現実を知ってもらえるきっかけを届けたいと思っています。

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