ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

森朗さんの天気予報

 昼ご飯時のテレビ番組、TBSの「ひるおび!」が太鼓持ち番組だと気づいてからは、あまり見なくなりました。しかし、台風接近の報せを聞いたときだけは別です。気象予報士の森 朗あきら さんの解説が楽しくて勉強になるからです。
 昨日の森さんの話は、今週末に列島接近が予想される熱帯低気圧台風15号?)の最新予報に加え、先週史上最強クラスに急発達した台風14号の予報の検証と反省の弁でした。通常、お天気キャスターが「手の内」を明かして、予報が外れた原因を長々と自己分析するなど、ほとんど見ない光景です(まあ、言い訳も含まれていましたが 笑)。しかし、視聴者にとってはそこが実はおもしろいところで、衛星画像など、提示されるいろいろな材料を見ながら、自分も気象予報士になったように考えられるわけです。
 森さんは昔のインタビューでこう語っていました。今も変わってないことがわかります。ウェザーニューズの「月刊SORA」2016年9月号より。
TBS『ひるおび!』お天気キャスターの「天気予報を面白く観る」法 - 月刊SORA

 ──いつも手作り感たっぷりのボードや模型などを使ってお天気のことをわかりやすく解説されていますが、「ココに注目すると、天気予報が何倍も面白くなる!」というポイントはありますか?
今は、いろいろなタイプの天気予報の番組がありますが、「明日は晴れか雨か」という結論よりも、「どうしてそういう予報を出すのか」という解説部分に注目して観るのがおすすめです。
というのは、結論だけならインターネットで検索すればすぐに出てくるでしょう。でも、その結論に至るまでには、天気図や衛星画像、過去のデータなど、さまざまな裏付けの理由が考えられています。そこを少しでもわかりやすく説明しようと工夫しているのが解説部分です。
ですから、「この人は、こういうふうに研究や解釈をした結果、こういう予報にたどり着いたんだな」と想像しながら観ていただくと、天気予報自体も面白くなるし、その気象予報士への信頼性が増すなど、天気予報をもっと身近に感じてもらえると思います。

 ──番組や気象予報士によって、予報の伝え方が異なることもありますか?
それがわかるのも、実は解説をしている時なんです。たとえば、言葉の使い分け方にもヒントが潜んでいます。「ひょっとすると~」「~の恐れもあるでしょう」などと幅を持たせた言い方で天気を予報するパターンもあれば、「必ず~ですのでご注意ください」のようにしっかり断定しているパターンもある。たとえば、言葉の使い分け方にもヒントが潜んでいます。「ひょっとすると~」「~の恐れもあるでしょう」などと幅を持たせた言い方で天気を予報するパターンもあれば、「必ず~ですのでご注意ください」のようにしっかり断定しているパターンもある。
伝える情報に根拠があるかどうか、自信があるかどうかは、解説の時のこういうちょっとした言葉の使い方にも出てしまうものですから。ぜひ、聞き分けてみてください。

 こういう話は、行政として責任ある立場の気象庁にはなかなかできない芸当です。台風の発達や進路予想が外れて甚大な被害が出たら、「気象庁は何をやってるんだ!」とすぐに叩かれます。最悪のケースを想定し、いかに被害を防ぐかを優先したら、好んでやっているわけではないと思いますが、言葉は慎重にペーパーを読み上げたりして、どうしても「守勢」になるでしょう(台風の進路予想の円が大きくなるなどは典型的です)。「手の内」を明かすなど、あり得ない話で、それで「権威」が傷ついたら大変です。

 しかし、もし、森さんが「ひるおび」で、MCの恵さんらの質問に逐一メモを見ながらでないと答えられないとしたら、何もおもしろくないわけです。それはそうだと思います。小生もむかし学校で生徒を相手に授業をしていたことがありますが、教卓の上においた授業用のノートやメモを見ながら授業を進めるにしても、生徒との問答でいちいちメモやペーパーを見ながら(調べながら)でないと話ができなかったら、生徒は、この先生、大丈夫だろうかと不安になるでしょう。丁々発止、口八丁で議論というか、言葉のやりとりがあるからおもしろいわけで、話をする側、解説をする側には、相応の知識や経験が求められるのは言うまでもありません。森さんの話がおもしろいのは、人柄のゆえだけではないでしょう。

 日本の政治家の発言なども、森さん式の「この気象予報士はどうしてそういう予報を出すのか」という見方、つまりは「この人はどうしてそういう発言をするのか」を探ろうという視点で眺めると、私的には、昔ほどに無機的とは思えない面があるにはあります。しかし、最近の政治家の発言それ自体は、全体として、ますます貧素で無機的になっているのは否定のしようがありません。こちらは、ちょっとした言葉の使い方を聞き分けようと思って聞いているのに、今の日本の多くの政治家の側は、言質を取られないよう、ペーパーを読み上げるだけで、ほとんど自分の言葉でしゃべりませんし、質問にも、実質的に一切答えなくなっています。こういうのを「文化」にしてよいものか。
 自身の言葉で物事を説明できないというのは、普通はその分野の知識がないからだと解されます。気象の知識がない人にお天気キャスターは務まりませんし、「今から今日の授業内容を板書するから全部ノートに書いてください」という教員には、授業は務まりません(それなら、プリントにでもして配った方が早い)。でも、政治家なら務まってしまうというのは、どうにも特異です。そう言えば、ジャーナリストの西村カリンさんが「アマチュアみたいな判断」と言っていましたが、こう言われて恥ずかしくないのでしょうか。
10月解散総選挙は無理でしょう - ペンは剣よりも強く


<追記>
最近の政治トレンド:「限界がある
(山際)「行動を記録している資料等々が過去のものが残っていない状況。何か調べろと言われても、私と私の事務所には限界がある
(岸田)「ご本人の心の中での判断に基づくものである以上、ご本人が亡くなられた今、その実態を把握することには限界がある

「限界がある」のは我々の忍耐のほうです。
マネするのが出てくると社会が困るので、発言はもちろん、職もやめてほしいです。




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