ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

岸田政権の「新しい内心の自由」

 岸田文雄氏が総理大臣になってもうすぐ1年。安倍・菅両氏に比べると、よくも悪くもアクがないので、揶揄するネタが少ない人のように感じてきましたが、国葬儀、統一教会、円安……と、いくつもの難題を前にして、いろいろと人格の「片鱗」を見せてくれるようになりました。苦境に立つと、やはり人間、「素」が出るようです。周辺からいろいろな話がこぼれ出てくるのも、報道管制が緩んでいるせいでしょう。それだけ「現場」には不平不満が渦巻いているのでは、と想像されます。
岸田首相、エリザベス女王「国葬」食い入るように視聴し飛び出した「国葬を見栄え重視に!」指令 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]

 ニューヨークの国連総会に赴いた岸田首相は、9月22日、記者会見に臨みました。特に目新しいこともないのですが、日テレ記者の質問の答えは特にひどいですね。再質問もさせずに、「流す」のですから、形式的というか、通過儀礼というか、岸田首相が、というよりも、この国の政府が、いかに「丁寧な説明(理解・納得される説明)」などする気がなく、本質的に国民と向きあう気がないかを示しているように思います。首相官邸のHPからの引用です。
令和4年9月22日 米国訪問についての内外記者会見 | 総理の演説・記者会見など | 首相官邸ホームページ

日本テレビ・山﨑記者)
 総理は帰国されますと、安倍元総理の国葬(儀)が来週27日に予定されています。しかし、各社の世論調査では反対が賛成を上回っている状況です。こうした国民の理解が広がらなかった理由についてと、このような状況を招いた自らの責任についてどのようにお考えでしょうか。
 また、いわゆる旧統一教会と安倍元総理の関係について、総理はこれまで本人が亡くなった今把握するには限界があると御説明されていますけども、党内からも事務所関係者に聞くなどできることはあるのではないかという指摘もあります。今後調査を指示するお考えなどはございますでしょうか。

(岸田総理)
 まず、安倍元総理の国葬儀については、これまで私自身、累次の会見、あるいはぶら下がり、さらには国会での閉会中審査、また官房長官等も日々の会見を行う、そしてその際に多くの御質問を頂いてきました。御質問に丁寧に答えていくという形で、あらゆる機会を捉え、できる限り政府として説明の努力を行ってまいりました。
 しかしながら、御指摘のように、今なお、「説明が不十分である」との御意見、御批判があるということについては、真摯に受け止めなければならないと思っています。
 いよいよ国葬儀の日にちが迫ってきましたが、具体的な日にちが迫ってきたからこそ、明らかになってくる、人数ですとか、具体的な対応、あるいは外国からの賓客の顔ぶれですとか、日にちが迫ってくることによって明らかになってくるこうした事柄もたくさんあります。こういった事柄等について、引き続き最後まで丁寧な説明を続けていきたいと思っております。この国葬儀と併せて様々な首脳外交等も行われることが予定されています。帰国しましたならば、一連の国葬儀行事が、敬意とそして弔意に満ち、各国への礼節を尽くし、我が国への信頼を高めるものになるよう、総理大臣の立場で全力を尽くしていきたいと思っています。
 そして、もう1点の御質問の安倍元総理と旧統一教会との関係についてですが、この調査という点については、色々な活動や関わり、様々なかつての情勢について伝えられているわけですが、そうしたもの、基本的には御本人の心の中での判断に基づくものである以上、御本人が亡くなられた今、その実態を把握することには限界があるのではないか、このように申し上げてきました。その考えは今でも変わっておりません。

 記者は、国葬儀に対する国民の反対が賛成を上回っている理由と責任を、首相としてどう考えているのか、と問うているのに、岸田首相は「説明が不十分である」との御意見、御批判があるとの「指摘」を真摯に受け止めると、まるでトンチンカンなことを言います(記者はそんなこと一言も「指摘」していません)。むしろ、8月から「説明」を十分にすればするほど反対が増えているのですから、これは認識がズレているというよりも、これを言えば救われる、責められない(と思っているだけの)、お経を唱えているようなものです。
 お経は次の質問にも続きます。安倍氏統一教会との関係について、自民党内からも「事務所関係者に聞くなど、できることはあるのではないか」という声が出ていることを「指摘」された岸田首相、「本人の心の中での判断に基づくもの」だから、実態把握には限界があると、驚くべきことを言い放ちます(でも、「限界がある」とは言っても「把握できない」とか「不可能」とは絶対に言わないところが姑息です)。もし、こんな理由で調査をしないのであれば、たとえば、殺人犯が自ら命を絶ったら警察も検察も何も捜査できないし、裁判もできないことになります(でも、限界があろうがなかろうが、捜査も裁判もしているんじゃないでしょうか)。

 安倍国葬で国民に黙祷など、弔意を求めること(強制)ができない理由は、国民には憲法で保障された「内心の自由」があり、一人ひとりの「心の中には立ち入れない」から、だそうですが、今度は、これを逆用して、都合の悪いことは「本人の心の中」の問題にして、一切立ち入らせないことにする、というわけです。
 山際大臣などが最近言ってましたが、記録映像など統一教会との関わりを示す動かぬ証拠を示されると「記憶が呼び覚まされた」というのと、どこか似たところがあります。要するに、当人の内面・内心を他人は詮索できないはずだというのを御旗にして、それ以上は追及できないだろう、だからバレても、シラを切ればいくらでもごまかせると。さらに奥の手で、動かぬ証拠をつきつけられたら、そのときの自分と今の自分は別人格で、別の「内心」をもっているから、(そのときの自分は悪かったけれど)今の自分に非はない、とでも言うのでしょうか。岸田首相もこれにならい?、冴えない「新しい資本主義」に代わって、今度は「新しい内心の自由」でも始めるのかと。

 いいかげん、こんなばかばかしい(たちの悪い)「ゲーム」はやめにしてほしいものです。

<追記>
 G7現職首脳のうち唯一安倍国葬儀に参列を予定していたカナダのトルドー首相も欠席となったとのこと。これはもう岸田首相も欠席!!するしかないとの声もあります。葬儀委員長は副総裁か官房長官にでも託して、災害救助を理由に欠席するトルドー首相同様、台風で被災した静岡市清水区ほかの人たちの支援の陣頭指揮をとる方がみんな納得するのでは……。



 
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