現代では完全アウトな鹿児島実業サッカー部の壮絶エピソードのまとめ

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鹿実サッカー部 エピソード サッカー

鹿児島県のサッカーの名門高校と言えば、鹿児島実業高校が有名ですが

鹿実サッカー部を全国屈指の強豪校に押し上げたのは、名将松澤監督の存在があります。

独自の育成法を見出し、誰にも負けない情熱で選手たちに接した結果、これまでに

前園真聖選手、城彰二選手、遠藤保仁選手、松井大輔選手、那須大亮など多くのJリーガーを輩出していきました。

そこで九州のサッカー名門高の練習環境とはどのようものであったのか?

城彰二さんらのYouTubeチャンネルの証言を元に、鹿実サッカー部の壮絶エピソードをまとめてみました。

現代ではコンプライアンスに引っかかるであろう、当時の鹿実サッカーのえぐい話をご覧ください

鹿実の名将 松澤監督

画像引用:スポニチ

松澤 隆司(1940年10月19日 – 2017年8月11日)

名門鹿児島実業のサッカー部の監督として知られ、1966年から2011年まで同校で指導にあたった。

40年以上もの間に、選手権では2回の優勝、高校サッカー3大タイトルの合計では3回の優勝を果たしている。

その知名度は県内のみならず全国的にも知られる存在で、鹿児島県から県民栄誉賞も授与されています。

息子枠制度

松澤監督の教え子の中には、息子枠と呼ばれる特別なカテゴリーが存在していたそうです。

息子枠とは、松澤監督からまるで我が子のように大切に扱われる対象の事で

通常ならば殴る蹴るの指導は当たり前のところ、この息子枠に入るとそれがなかったそうです。 

鹿児島実業OBの証言をまとめると、これまで息子枠の対象であったのは下記の選手でした。

息子枠・・・前園真聖、松井大輔、遠藤拓哉、遠藤彰弘、遠藤保仁、城和憲、田原豊
非息子枠・・・城彰二、那須大輔

理不尽指導

鹿実サッカー部OBの証言から、松澤監督の理不尽に思われる指導のエピソードをまとめてみました。

パスを出して殴られる

城彰二選手の実弟である城和憲さんのエピソードです。

熊本へ遠征に言った際に、松澤監督からお前はこの試合に絶対にパスを出すな!という意味不明のパス禁止令が出されました。

そうは言えども、城さんはゲームの局面でどうしてもワンツーをしたい時にやむを得ずパスを出していたそうです。

すると城さんが出したパスの回数は松澤監督にしっかりとカウントされており

試合後にパスを出した回数分だけ殴られたそうです。

息子枠であった城さんが監督から唯一殴られた経験だと語っていましたが、パス禁止令を出した意図にういては永遠に不明です。

強制的に下の毛を剃らされる

城彰二選手は1年生の時に選手権に出場し、その後全国の女性ファンからたくさんのファンレターが届いたそうです。

そしてそれを見た松澤監督から

「お前はいったい何人の彼女がいるんだ?女の子にうつつをぬかしてはダメだぞ!」

という理由で、強制的に五厘刈りを命じられました。

それだけならまだしも、なんとこの時は頭の毛以外に、陰部を毛も剃ってくるよう命令されたそうです。

翌日に城彰二選手は、きちんと剃った証拠を職員室まで見せにいったと語っています。

生徒を騙して入学させる

鹿児島実業サッカー部と言えば、坊主のイメージがありますが

城彰二選手は当時、カナリア色のユニフォームを着て長髪をなびかせてサッカーをするのに憧れ、帝京高校行へ行きたかったそうです。

なので坊主にしなけれならない鹿児島実業への進学は希望をしていませんでした。

ところが、地元から世界に羽ばたく選手になれ!という城選手の父親の考えの元、無理やり地元の鹿実へ行くことに

お洒落生活を夢見ていた城選手は、鹿実入学前に事前に松澤監督に

「サッカー部に入っても自分は丸坊主にしなくても大丈夫ですか?」

と確認したところ

「お前は特別だから髪を伸ばしてもいい」

と言われていたそうです。

ところが、入部2日目は、なんと先輩から無理やりバリカンで丸坊主にされてしまいました!

後日、職員室へ行きその事を松澤監督へ抗議すると

「俺は髪を伸ばしてもいいと言ったけど、先輩にダメだと言われたらダメだよな」

と言われ完全にはめられたと語っています。

ちなみに城彰二選手の実弟である城和憲さんも、入学後に騙されて強制的に坊主にさせられるという同じ被害に遭っています。

城和憲さんは中学生の時から名門の桜島中学に越境留学をしていました。

そこを松澤監督自らが3カ月間車で通い、鹿実入れを口説いたそうです。

そして丸坊主にしない事を条件に鹿実へ行く決心をしたものの、やはり入学2日後に丸坊主にされたそうです。

壮絶サッカー部練習

鹿実サッカー部の壮絶な練習のエピソードをまとめてみました。

地獄のゴールラインダッシュ

テスト期間の1週間はダッシュ期間と呼ばれ、ボールを使った練習をする事なく、ひたすら走り込みを行うのだそうです。

城選手の時代にはゴールラインからゴールラインまでを往復する地獄のダッシュがあったそうです。

ゴールラインからゴールラインまでの距離はおよそ100mほどありますが

それを行は17秒、往復で43秒で戻ってこなければならなかったそうです。

ダッシュ期間の初日に30本、2日目40本、3日目は50本という具合に徐々に増やしていくのだそうです。

ただし部員の一人でも制限時間にゴールする事ができなければ、ノーカウントになる

あまりのきつさに最高で1日に救急車が3回来た事もあったとか。

城選手は結局この地獄のダッシュを最高で120本行ったという風に自慢げに語っていました。

朝練から裸で筋トレ

城選手時代の話

鹿実には毎朝6時からの朝練があり、朝っぱらから筋トレを行っていました

しかもなぜか筋トレの時は上半身裸でなければならなかったそう

これは夏はよくても冬はたまりません!

南国の鹿児島と言えども、冬は雪が降るほど寒い日もあります

筋トレの時に上級生だけが、唯一手袋をつける事が許されていたそうです

手袋をする事が許されなかった下級生は、素手で凍てつくバーベルを持たなければならず、相当つらかったと語っていました。

厳しい上下関係

鹿実サッカー部の上下関係は当時非常に厳しかったそうです。

厳しい上下関係において経験した苦労話のエピソード集です。

先輩のパシリにさせられる

1年生は毎日お昼の時間になったら3年生の先輩の元へ行き、おつかいにパシるのが通常だったそうです。

先輩が学食で買ってきて欲しいものをメモして、それを下級生がダッシュで買いに行く

当然お昼の時間は集中するので、学食は激混みになります

もしも売り切れで買えなかった場合は、先輩からボコボコにされるので、必死で買いに行っていた

と城彰二さんは語っていました。

ちなみにこのパシリ制度は、城さん自身が3年生となりキャプテンに就任された時に、こんなことをしても無意味だとチームに訴え廃止させたそう

パンスト履いて行進させられた

1年生の時に、念願の選手権の開幕式の行進に出る事が出来た城彰二選手

その時に先輩から「寒いだろ?」と言われてパンティストッキングを渡されました。

そしてなんと、先輩の言われるがままにユニフォームの下にパンティストッキングを履いて行進に参加したそうです。

実際パンスタは寒い冬には暖かくて良かったのですが、意地の悪い先輩が後ろからパンストを爪で引っ掛き、わざと伝線させたそうです。

城選手は、パンストを履いて行進しているのがバレるのではないかとヒヤヒヤしたと語っていましたが、あわや全国レベルで恥をさらす事となる、えげつないイジメです。

忘れ物をしたら大声で先輩に報告

鹿実サッカー部において、お辞儀をする時の角度も定められており、その角度は45度だそうです。

その他にも鹿実サッカー部独自ルールが存在し、それは忘れ物をしたら大声で先輩に報告をしなければいけないというものです。

先輩こんにちわ!ブリーフ忘れました!

松井大輔選手はこのように先輩の目の前で大声で報告したそうです。

3カ月の見習い期間

1年生は入部してからしばらくは白のTシャツ、白の短パン、白のソックスを着なければなりません。

そしてTシャツの前には大きくマジックで自分の名前を書きます。

これは毎年100人以上の部員が入部してくる大所帯故、早く周りに名前を覚えてもらう為のものです。

遠征や移動の時も名前が大きく書かれた白Tシャツ姿で行くので、とても恥ずかしかったと語っていました。

そして鹿実サッカー部は入部してから始めの3カ月はスパイクを履かせてもらえないそうです。

ただひたすら挨拶や走り込みの練習を行うのだとか

こうして厳しい練習によるふるいがかけられ、100人以上入部した部員は年月の経過と共に徐々に減っていくのだそうです。

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