この記事の内容は、様々な資料をもとに書かれています。

 

内容の中には一部ないしは全体を通して、資料に基づく偏見や誤りがある可能性があります。また、筆者自身による偏見や誤りがある可能性も当然否定できません。

 

できる限り公平かつ事実に基づいて記事を書きたいと考えていますが、この点を踏まえていただけましたら幸いです。

 

今回のテーマはロシア革命直後のロシアの対シナ教育です。

 

 

 

はじめに

 

 今回は1928年に出版された『在露支那青年の教育』の第一章を現代日本語に翻訳し直しました。ロシア革命後のロシアが多数のシナ人に共産主義とその政治手法を教えていた場面を当時の外務省目線で読み取ることができる秀逸の作品だと思います。

 

 第二章ではロシアの一般的な教育制度、第三章ではロシアの政治思想教育、第四章では軍事教育、第五章では東方研究機関、付録ではロシアの対外宣伝連絡機関について論じています。

 

 ボルシェヴィキ政権によるこれらの政策の結果として中国での共産革命や朝鮮半島ならびにインドシナ半島での共産化が功を奏することになったものと思われます。非常に長く続けられた政治教育や広報宣伝政策を学ぶ上でも大きな足掛かりになる内容になっていると思います。

 

外務省による『在露支那青年の教育』

 

在ロシアのシナ人

 

 ロシア在住のシナ人が果たしてどれほどの数にのぼるのかについては正確にこれを知る方法はない。

 思うに以下については労農政府側において何ら信頼する公表をなく、また在住者(学生を含む)の大部分は在ロシアシナ大使館に何ら届け出などをすることもなく、まったく没交渉のために同大使館においてもシナ人の数や職業、出身地その他について正確な調査資料を持っていない。

 もっとも同大使館側より得た情報によれば、同大使館において諸方面より観察し、モスクワレニングラード在住のシナ人は1万人前後と推定しているとのことである。

 シナ人が最も多く在住するのはもちろんモスクワであり、例えば同地における選択業はほとんどがシナ人の手にあるとさえ言え、その他の行商人、特に玩具などを手にして往来し物乞いのように商売を営むものも非常に多くみられる。

 

モスクワの聖ワシリイ大聖堂

 またレニングラードにおけるシナ人は普通の商人約40~50名あり、その大部分はモスクワにおけるような物乞いのような大道商人であるか、小商店(針糸・ボタン・小切類を商う)を経営するもの4~5件あると言われる。また南方のキエフには特に多数のシナ人が在住すると言われる。

 

レニングラード(現在のセンクトペテルブルクの冬宮殿)
 

在ロシアのシナ学生

 

 在ロシアシナ学生も主にモスクワレニングラードに在住しているが、レニングラードではその数は非常に少なく大部分はモスクワにある。そしてモスクワにあるシナ人も主に孫逸仙シナ労働者大学スターリン東方労働者共産大学ならびに一部は陸軍関係の学校に集中し留学しており、その数は孫逸仙大学には少なくとも現在400名は確実にいて、スターリン東方大学には同じく300~400名また陸軍の学校には数十名入学しているようで、レニングラードには同地航空学校に約20名、その他の学校にも数名の学生が留学しているようである。

 

孫逸仙シナ労働者大学(モスクワ中山大学)の学生

スターリン東方労働者共産大学では鄧小平や劉少奇、ホー・チ・ミンが学んでいる

 これら約1000名の学生を中心としてこれに他の普通の大学その他職業学校などに散在するものを合わせると、在欧露シナ学生の数は約1400~1500前後と推算するのが正当と思われ、在ロシアシナ某消息通もレニングラードにはシナ学生比較的少なく大部分はモスクワに留学し、その数はおおよそ1400名であろうと言っている。
 

ボルシェヴィキ政権の対シナ教育政策

 

 これらシナ青年の共産主義については、労農政府側においてシナ革命、ひいては世界革命の達成に対する大きな準備の一つとして鋭意これに努力していることは言うまでもない。

 

 後述のようにシナ学生教育の主な学校機関である孫逸仙シナ労働者大学といい、スターリン東方労働者共産大学といい、その施設比較的完全で、教授もまた懇切を極めているようで、ソヴィエトロシアいまだ十分に復興せず、国民全体を通して、等しく貧苦寒素に甘んじている裏で、彼ら外国の学生が如何に労農政府の優遇を受けているかについて筆者の深く感じるところである。

 

 これらシナ青年の共産主義教育について前記学校機関のみならずロシアにおける共産的政治の実際またはその諸施設、宣伝、特に新聞・演劇ならびに映画(ロシアとシナ革命を主題とし、また共産主義を取り入れた芝居や映画が非常に多い)その他一般の雰囲気の精神的、実際的にあたえる直接または間接の諸影響を考慮に入れることを要しているのは当然である。

 

 とはいえ、これらの諸点について一つ一つ系統的に詳細な論述を試みるのは、大変であるのに加えて、まったく必要性がなく、主に学校機関と類似の施設のみについて論じることとする。

 

① 一般の教育機関

(これら学校中にも少数のシナ学生が散在していることに注意が必要である)

 

② 政治教育機関、特に本調査の主な目的であるシナ共産青年の教育機関

 

③ 軍事教育機関、特にシナ軍人の軍事政治教育機関

 

④ 東方研究の諸機関と関係施設

(東方で活動するソヴィエト連邦人の養成を主な目的とし、同時に東方人の教育に大きな関係している)

 

⑤ 共産主義の宣伝機関と連絡機関

 

について附記するところがある。

 

まとめ

 

 ソヴィエトと中国国民党の間で孫文・ヨッフェ共同宣言が出されて以来、ソヴィエトと中国国民党の繋がりは非常に強いものとなっていきました。

 

国民党の孫文(孫逸仙)とアドリフ・ヨッフェ

 

 以来多くのシナ人を始めとするアジアの諸民族はソヴィエトで共産主義思想とその政治的手法を取り入れていきました。中国では国民党の政治家ばかりでなく、後に中国共産党で中心的な役割を担う政治家たちの多くもモスクワを中心にソヴィエトで共産主義を学んでいったのです。

 

 

 

 ソヴィエトと中国との結びつきの歴史を概念としてではなく、できる限り実感として感じられるようにしていくことで見えてくるものがあるように思います。

 

さいごの一言

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。ご感想などありましたら、気軽にコメントください。