台湾から日本に帰国致しました

帰国

こんにちは。おやつです。

前回のブログから約2か月ほど間が空いてしまいました。

更新が滞っている間にも、ブログに訪れて下さる方が、

私の思いのほか多くいらっしゃり、

その間ほぼ放置状態だったコトを申し訳なく思うのと同時に、

本当にありがたく感じています。

 

 

3年ぶりの日本は1人での帰国になりました

私の帰国は予定が様々な事情により延びてしまい、

およそ3年ぶりの帰国になります。

居留資格は私が台湾で住むための、台湾発行の配偶者ビザしか無く、

奥さんが日本に居留できる、日本発行の配偶者ビザは取得していないため、

観光ビザなどでは出入国できない現状、

私一人での日本への帰国となりました。

健在ではありますが年配の両親の心配や、

免許証の更新など細々と済ませたい事もあり、

まだ飛行機の便数が少ないながらも飛んでいる内にと、

帰国する事となりました。

 

 

日本入国後2週間の自主隔離期間中

1月23日に帰国し、それから2週間は隔離期間になりますので、

このブログを書いている週の終わりには隔離期間が終わります。

帰国の前々日、日本入国72時間前以内のPCR検査陰性証明が必要となり、

台北の大きな病院に検査に向かうため、住んでいた地方都市から、

奥さんと二人で台北の病院近くに取った宿へ向かいました。

台北へ向かう特急の車内は、やはり私が知っている景色では無く、

お客さんも少なく車内販売なども当然無く、

とても寂しく映りました。

 

病院で検査をした翌日に検査結果を受け取りに向かい、

久しぶりに来た台北で時間を過ごし、翌日の早朝便に乗るため、

夜には桃園空港へ向かいました。

空港には乗客と思われる人を見かけた数が10人にも満たない状況で、

この世界情勢なので当然と言えばそうなのでしょうが、

ココも私が見たことがある知っている景色では無く、

あまりにも寂しさを感じてしまう光景でした。

人があまりにもいないためチェックインを済ませた後、

時間ギリギリの出国手続き前まで、奥さんといっしょにいました。

桃園からは飛行機が飛んでしまえば、あっという間に成田に着いていました。

乗っていた便はガラガラで、どうやら日本人が私ともう一人しかいなかったようで、

先に降ろされ必要書類の確認会場へ誘導されました。

久しぶりに日本人の日本語を聞いて帰って来た感覚をおぼえましたが、

当然の事ながらいつもは利用客でごった返している成田も、

客の何倍も職員さんの方が多くいらっしゃるような状況でした。

書類の確認や質問などが済んだ次は、案内板の通りに広い空港内を移動し、

着いた先がPCR検査のブースでした。

それが済むと通路に等間隔にキレイに並べられ、

番号が付けられたパイプ椅子で待つ事となり、

時間にしておよそ1時間程度待機となりました。

検査の番号が読み上げられそちらへ向かうと、

無事さきほどの検査の陰性証明書を貰い、

預け荷物を受け取ったのち入国審査をパスし、

約3年ぶりの帰国となりました。

 

本当はブログを更新出来ていなかった間や帰国の経緯など、

いくらかご説明できたらと思っていたのですが、

ただの帰国報告になってしまい申し訳ありません。

追々ココでお知らせ出来たらと考えております。

 

 

今回も最後まで読んでくれて、ありがとうございます。

みなさんの幸せと毒親からの解放を心から応援しています。

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