社会の風潮と毒親家庭に思うこと

帰国

こんにちは、おやつです。

前回ひとりで日本への帰国をお知らせさせていただいてから、

だいぶ期間を空けてしまいました。

台湾にいる奥さんと連絡を取りつつ、仕事やら実家のゴタゴタなどで、

それなりに忙しく過ごしておりました。

 

3年ぶりの日本の生活で感じた違和感

 

3年ぶりに日本へ帰国してきてから、約4か月ほど経ったワケなのですが、

久しぶりの日本での生活に言葉ではなんとも例えようのない違和感を覚えています。

台湾で暮らし始めるまでは当然日本での生活しか知りませんでしたので、

比較の対象が無かったと言えばそうなのですが、

特に大きくおかしいと感じる事は

『集団心理』や『同調圧力』や『洗脳』といったモノになります。

わたしも日本に生まれ、日本で教育を受け育ち、日本で社会生活を経験して来ました。

その環境と言うのは、ある意味『当たり前』の環境であったワケです。

家庭で親にコレが正しいと教えられたコト。

学校で教師にコレが正しいと教えられたコト。

会社で上司にコレが正しいと教えられたコト。

テレビや新聞の報道は間違えなく正しいと思い込んでいたコト。

ところどころでは多少の疑問があったにせよ、

ほぼほぼすべてを当たり前に受け止めて過ごして来ましたが、

その根底にあるモノが果たして本当に信用に値するモノなのかが、

とてつもなく疑わしく思えているのです。

親や教師や上司などは、当たり前ですが人間ですので、

間違えるコトだって当然あるワケです。

 

なにかに無条件で従わされている

 

わたしが感じている違和感と言うのは、そう言った個人の思想などによるモノでは無く、

『みんながこうしているからそうするのは当たり前』

『権威ある偉い人が言ってるから従うのは当たり前』

『テレビや新聞の報道にウソなんてあるワケが無いから信じて当たり前』

漠然と書いてしまうと上にあるような、

自分で確認も取れていない事を『それが当たり前』だからと言うとらえ方で、

ほぼほぼ無条件で受け入れてしまっている人達が多いと感じるのです。

以前の私もその中のひとりであったんだと強く思っているのと同時に、

先ほどあげた『集団心理』『同調圧力』『洗脳』と言った、

人の自由な発想や行動を妨げる要素が、小さな社会から大きな社会まで全てにおいて、

強く根っこにあると感じています。

 

その判断に納得できるかどうか

 

ではなぜわたしがその様な印象を感覚として受け止めるコトになったのか考えてみたのですが、

それは物事を自分で調べて確認して納得した上で行動するようになったからなのではと、

そう強く思えるのです。

台湾に行く前は日本の生活の中で、社会で言うところの『当たり前』と言うモノに、

流されるまま過ごすのが当然で、目の前に起こるひとつひとつの物事に対して、

『自分の確固とした信念』で、考えて来なかったと物凄く強く感じるのです。

とは言え、その当時は自分なりに悩んで考えて、

絞り出すように結論を出していたつもりなのですが、

自身を振り返って良く見てみると、

『妥当な落としどころ』に結論が着地していたコトがほとんどです。

コレを踏まえて毒親が君臨する家庭環境を考えてみると、

当てはまるコトが非常に多いように感じるのです。

自分で確認したり納得したりなど一切関係なしに、

その家庭と言う社会で生き抜いて行くためには、

前提として毒親の言うコトには従って当たり前のていにしておかないと、

例え親子の力関係を無視したにしても、

とてつもなく生き抜くのがよりシンドクになってしまうコトを、

小さな子供なりに状況を理解し、それに合わせて生活しなければならないと、

決して受け入れたくは無い『当たり前』を、

受け入れざるを得ない環境へコントロールされてしまっている事が、

多くの毒親家庭で非常にあるパターンだと見受けられます。

 

今回も最後まで読んでくれて、ありがとうございます。

みなさんの幸せと毒親からの解放を心から応援しています。

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