スタ辞苑〜全国スタジアム観戦記〜

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プロ野球選手の引退試合~悲喜こもごも~【コラムその50】

引退。どんな偉大な選手であろうと、その運命にあらがうことはできません。

チーム事情で辞めざるを得なかった選手もいれば、自ら辞めるタイミングを決められる選手もいます。

引退試合を行える選手というのは、それだけでとても恵まれた存在なのですね。

 

今回はそんな選手の引退をテーマに、特に引退試合にスポットを当てたいと思います。

引退にも笑いあり、涙あり…。

1.笑顔の引退試合・広島前田智徳

広島東洋カープの前田智徳と言えば現役時代「侍」と言われ、無口で職人肌というイメージが非常に強い選手でした。イチロー落合など稀代の名打者たちもこぞって天才として名前を挙げるほどの選手です。

アキレス腱を断裂する大怪我を負いながらも2000本安打を達成したり、今までで最も良かった打球は?と聞かれて「ファールなら…」と答えるなど、伝説には事欠きません。

 

そんな前田の引退試合は、2013年10月3日でした。前田は8回代打で打席に入り、ピッチャーゴロを打ち、現役最後のバッティングを終えました。

 

しかし9回、なんと前田がグラブを持って飛び出してきたのです。前田はアキレス腱を断裂しており、まともに走ることができないはずなのに。

それでもカープファンに迎えられながら、ライトの守備につきます。

 

やはり引退試合、引退する選手にはなむけを贈りたいもの。ピッチャー、キャッチャー、そして相手の中日打線総出で「ライトフライ」を目指します。

しかし先頭の藤井はサードゴロ、二人目の大島は惜しくもセカンドフライ。ここで打席に入るのは森野。

 

しかし、うっかりライトへのツーベースを打ってしまいます。セカンドベースについた森野は前田へペコリとお辞儀

ヒットを打って相手にお辞儀するなんて、時と場合によっては問題行為ですが、この時ばかりは球場全体で受け入れたのでした。

 

続いて打席に入るのは右打ちの名手平田。ピッチャーの久本はひたすら外角に投げ、バッターの平田はひたすらライトに打つという、摩訶不思議な展開になりました。

しかし打てども打てどもファール、ファール、ファール…。もともと走れないのに加え、年齢もあってか前田はもうヘロヘロ状態。多分ライトに打球が飛んでも取れなかったんじゃないでしょうか。

 


20131003 前田智徳引退試合 守備

結局平田も力尽き、最後はセカンドゴロでゲームセット。

孤高の天才・前田智徳らしくない、温かい雰囲気に包まれた引退試合となったのでした。

 

 

そして前田はスイーツ大好き面白おじさんとして第二の人生を歩むのでした。おしまい。

 

2.驚きの引退試合・日ハムSHINJO

最後の最後までファンを沸かせたのが日ハムSHINJO(新庄剛志)です。

 

2006年4月18日、ヒーローインタビューに立ったSHINJOは、突然「今シーズンでユニフォームを脱ぐことを決めました」と宣言します。

ファンはもちろん、チーム内でもごく一部しか知らされていなかったことから、日ハムのみならず球界に衝撃が走りました。

 

とはいえ私は正直、「またSHINJOがなんか言ってらあ」と思っていました。

というのも、1995年にも引退宣言を行っているんですね。この時はいろいろもめた故の発言だったようですが、父親の病気をきっかけに撤回しました。

 

そんなわけで4月の段階で引退を表明したわけですが、実際の引退試合は9月27日となりました。今回は引退を撤回することもなく…。

といっても球団は慰留する意向であったため、自分で勝手に背番号を入団当初の63に変更したり、大型ビジョンに直筆メッセージを表示するなど、最後までSHINJOらしさを貫いた引退試合となりました。

 

が、本当の最後の試合は引退試合ではなく、日本シリーズでした。10月26日の日本シリーズ第5戦8回裏、打席に立つSHINJOは涙をこらえられませんでした。

対する中日のピッチャー中里は3球ともストレートで勝負し、空振り三振に終わりました。

こういった真剣勝負の場でこのようなことが行われるのも異例と言えますが、常に球界の中心で話題を振りまいてきたSHINJOに対するキャッチャー谷繁の粋な計らいだったのかもしれません(この時点で大勢が決していたのもあるでしょうが)。


新庄最後の打席

 

そして見事日ハムは日本一に輝き、SHINJOも有終の美を飾ります。「札幌ドームの満員」「ファイターズの日本一」という公約を見事達成し、グラウンドを去っていきました。

 

そんな新庄は、再び現役復帰を目指してトライアウトを受験し一躍時の人となりました。

なんとも新庄らしい破天荒な生き方なのであります。凡人にはマネできぬ。

 

3.哀しみの引退試合・阪神矢野燿大

矢野燿大と言えば、2003年、2005年のタイガース優勝を支えた名捕手です。

そんな矢野の引退試合は2010年9月30日に行われました。

 

しかしこの年タイガースは優勝争いをしていたため、「9回2アウトで阪神がリードしていたら最後のマスクをかぶる」という限定条件での引退試合となりました。 

 

公約通りタイガースは3-1とリードしたまま9回を迎えます。マウンドに上がるのは守護神・藤川球児

登場曲も藤川でなく矢野の登場曲が流れ、誰もが引退の花道を期待していました。

 

しかし藤川はコントロールを乱し2連続フォアボールでノーアウト1,2塁とします。球場に不穏な空気が漂います…。

 

ここで打席に立つのはベイスターズの4番・村田

しかし村田も空気を読んだのか、高めのボール球に手を出します。力感なく振りぬいたその打球は…。


【阪神】矢野伝説の引退試合「行くな行くな超えるな」

なんとスタンドイン

この時の「行くな、行くな、超えるな」という実況の魂の叫びは、ある意味で伝説となっています。

公式も「行くな行くな超えるな」タオルを作ってしまうほど。

hanshintigers1.blog.jp

 

もちろん矢野の出場も実現することなく、4-3でタイガースが敗れました。

あまりに哀しい引退試合となってしまいましたが、その後は着実に指導者としてのキャリアを積み、現在では1軍監督として指揮を執っています。

衝撃的な引退試合でしたが、ある意味誰もが忘れられない試合となりました。

 

藤川本人もyoutubeでこの試合のことを語っていました。矢野が出るのか出ないのか、難しい状況ゆえ生まれてしまったホームランのようです…。

www.youtube.com

 

4.感動の引退試合・横浜小池正晃

感動の引退試合を挙げればキリがありませんが、今回は小池正晃を取り上げたいと思います。

 

小池は松坂大輔と共に横浜高校で甲子園春夏連覇を果たし、その年ベイスターズに入団しました。

とはいえ華々しいスター街道を歩んでいた松坂とは違い、ドラフト6位で入団するなどどちらかというと地味なタイプでした。

 

2005年、2006年には2番打者として活躍し2年連続で最多犠打を記録するなど、あくまで繋ぎの役割に徹しましたが、結局レギュラーとして活躍したのはその2年だけ。あとは代打、守備固めといった地味な役回りを多く任されていました。

その後中日にトレードされ日本シリーズでホームランを放つなど意地を見せましたが、最終的にはベイスターズに戻ってきました。

 

そんな小池の引退試合は2013年10月8日でした。7番ファーストで出場した小池は第2打席でホームラン、第3打席でヒットを放つ活躍を見せます。

迎えた8回の第4打席。涙ながらに振りぬいた打球はレフトスタンドへ…。

横浜高校で同期だった後藤の背番号と同じ、プロ通算55本目のホームランを放ち、ユニフォームを脱ぎました。


小池正晃 横浜DeNA 感動!! 現役最終打席ホームラン!! 後藤も涙!!

ドラフト下位指名からコツコツ仕事を積み重ねてきた仕事人は、最後の最後に横浜の中心で輝いたのでした。

 

小池は引退後もコーチとしてベイスターズに残りました。

同期の後藤の引退試合では対戦相手だった中日の松坂と共に花束を贈り、今なお横浜高校の結束が強いことをうかがわせました。

学生の時の友達は、どれだけ時が経とうが一生モノなのですね。

 

5.まとめ

今回紹介したのはごくごく一部ですが、選手の数だけ引退があります。

しかし、何かが終われば何かが始まるもの。引退試合は、選手の新しい人生の始まりを告げる儀式でもあるのです。

 

今年も引退試合の季節が近づいてきました。一人でも多くの選手が引退試合を行えるといいですね。

 

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