スポーツ、という言葉の語源をご存じでしょうか?
これは以前にも記事で取り上げているのですが、ラテン語のdeportareという単語で、娯楽、息抜き、生活の役に立たないものという意味があります。
しかしスポーツはその注目の高さゆえ、残念ながら政治目的で利用されたり、世界史の舞台に登場することもしばしば。
このシリーズではそれらを私の分かる範囲でご紹介していきます。未熟ゆえ不正確であったり情報の不足があるかもしれませんが、なにとぞご容赦ください。
今回は2019ラグビーワールドカップで優勝した南アフリカの政策「アパルトヘイト」とラグビーの関係をご紹介します。
1.アパルトヘイト政策
今回はアパルトヘイトを紹介する記事ではありませんが、簡単に紹介いたします。
アパルトヘイトとは南アフリカで行われた人種差別政策のこと。アフリカは人類が発祥した地と言われていますが、南アフリカにも古くから先住民が住み着いていました。
1400年代になるとヨーロッパ人が渡来するようになり、先住民である黒人を奴隷としてこき使いました。
やがて金山やダイヤモンドが見つかると、いわば「金のなる木」となった南アフリカにはイギリスが進出。人種差別は激しさを増していきましたが、1948年にはとうとう黒人封じ込めを訴える国民党が勝利したことでアパルトヘイトが制度として確立しました。
アパルトヘイトが始まった理由にはイギリスとオランダの複雑な関係があるのですが、今回は省略します。
具体的にどのような差別が行われたかというと、
・選挙権は白人だけ
・黒人には過酷な労働条件があてがわれる
・全人口の2割ほどの人口の白人が土地の8割を所有する(黒人はその逆)
などです。
ひどいなあと思う一方で、世界中で同じような差別はあったわけですし、悲しいですが人間の本能としてこういったものが備わってしまっているのかもしれませんね…。
ともかく、1989年にデクラーク大統領が融和政策をとり、実に27年収監されアパルトヘイトと戦い続けたネルソン・マンデラが南アフリカ初の黒人大統領に就任するまで、長い間アパルトヘイト政策は続けられたのです。
2.ラグビー南アフリカ代表・スプリングボクスのW杯初出場・初開催・初優勝
さて、今度はラグビーの南アフリカ代表であるスプリングボクスについてご紹介します。
初めての試合は1891年と長い歴史を持っていますが、前述のアパルトヘイト政策の影響で第1回、第2回ラグビーワールドカップには出場できず、さらにアパルトヘイトの象徴とみられていたスプリングボクスは黒人からの支持を得られませんでした。
アパルトヘイトが撤廃され黒人大統領のネルソン・マンデラが就任した翌年、スプリングボクスにも転機が訪れます。
第3回ラグビーワールドカップに南アフリカが初出場、さらに初開催となったのです。
しかし、「白人のもの」であったスプリングボクスは、やはり黒人の支持は得られません。
そこでマンデラ大統領は、スプリングボクスを「マイボーイズ」と呼び、さらに「ワンチーム・ワンカントリー」を掲げスプリングボクスを国全体で応援するよう呼びかけました。
予選を全勝で勝ち上がると、トーナメントでサモア、フランスを破り、初出場ながら決勝の舞台に上がります。
決勝のニュージーランド戦には、マンデラ大統領もスプリングボクスのジャージを着て駆け付けます。決勝は延長戦の激闘となりますが、15‐12で勝利し初優勝。
マンデラ大統領がキャプテンであったフランソワ・ピナールに優勝カップを手渡すシーンは、アパルトヘイト終焉の象徴的出来事として今もなお語られ続けています。
3.黒人キャプテンが導いた2019ラグビーワールドカップ優勝
スプリングボクスの初優勝から24年。2019年、日本で開催され日本がベスト8まで勝ち上がったラグビーワールドカップは記憶に新しいところです。
そんな破竹の勢いを見せていた日本代表を準々決勝で破ったスプリングボクスは、見事最多タイとなる3回目の優勝を果たしました。
この大会において象徴的だったのは、南アフリカのラグビー130年の歴史においてシヤ・コリシが黒人として初のキャプテンとなったことです。
南アフリカ大会ではチェスター・ウィリアムズただ1人しかいなかった黒人選手は、この時にはコリシを含めて11人にまで増えていました。
南アフリカではアパルトヘイトに代わって貧富格差が問題となっており、コリシ選手もまた満足に食事もとれない日もあるなど貧困にあえいでいました。
しかし自らの才能と努力によってスプリングボクスのキャプテンに上り詰め、チームをワールドカップ優勝へ導いたのです。
彼は黒人にとっても、また貧困で苦しむ人にとっても希望となる存在となったのです。
アパルトヘイトが終わってもまだまだ課題の残る南アフリカですが、少なくともスプリングボクスの活躍は国民全員にとって希望の光となっていることは間違いありません。
直後に行われた優勝パレードには、白人、黒人関係なく大勢のファンが駆け付け大盛り上がりとなりました。
4.まとめ
アパルトヘイトの象徴として忌み嫌われていたスプリングボクスは、1995年のワールドカップでアパルトヘイト終焉の象徴となり、さらに2019年には白人と黒人の融合の象徴となりました。
このように、スポーツの代表チームというのはまさしく国を代表し、象徴し、そして国民をまとめ上げる役割を担っているのです。
今回でいったん世界史とスポーツのシリーズは終了としますが、まだまだ書けることはあるので今後機会があれば書いてみようと思います。
しかし、やっぱり欲を言えばスポーツと政治はあくまで無関係である方が望ましいんですけどね…。
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