南漢山城(韓国)

2008年撮影

Namhansanseong ( Korea ) OUV(ii)(iv)

2014年世界遺産登録

■まるで万里の長城!李氏朝鮮時代の築城技術

南漢山城の築城には諸説あるようですが、15世紀初期の李氏朝鮮時代の太宗の時代に戦略的な拠点として強く認識されるようになり、続く4代目世宗によって国防対策として拡張されたそうです。

しかしその後、文禄の役(秀吉の時代)の際に改築、そして17世紀、丙子の役にて清との戦いで使用され、李氏朝鮮軍は籠城。結局城門を開いて降伏、城は放置されることとなります。その後現代でも使用されたことは記録にあるそうですが、そんな7~19世紀にかけて増改築を繰り返し、険しい南漢山の地形を利用した時代時代の築城技術が見られるという点が登録基準の(ⅳ)として評価されています。

城内は広い公園のようになっており、舗装された道と、土や石がむき出しの登山道のような道二つの道があります。後者の道はトレッキングに適した服装でないと年輩者にはきつい印象でした。

2015年撮影 北門
北門の石積み

ガイドから北門の両側にたつ石壁の石積みは、大きい石でできた壁と小さい石でできた壁の2種類があり、時代とともに増改築されたあとが見て取れました。

2015年撮影 最も北西にある連珠峰藍城から見た景色 遠方にも続く城壁が見える

ユネスコサイトの登録マップを見ると、世界遺産には城壁をぐるっと囲むようにドーナツ型に登録されており、その周辺が緩衝地域になっています。この連珠峰藍城から見ると、その様子の一部を感じることが出来ました。ちなみにここで折り返して往復2時間くらいの所要になるそうです。

2015年撮影 清涼堂

南漢山城は、中国や日本の影響を受けた当時の軍事技術と、西洋からもたらされた火器に対応する築城技術が融合され、これらはいずれも朝鮮王朝統治権の象徴として残っています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました