禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

社会人の禅修行階梯を考える(40)「禅と茶の集い」便り(329)

急に気温が下がり一気に初冬のような10月第4週となりました。

私も今日は早めに参加できたので調息山の坐禅ワークを初めから履修できました。

 

三々五々,いつものメンバーが揃い始めたころ冒頭に太田先生から盤珪禅師の「不生禅」のお話がありました。

 

テキストは大拙先生の「禅思想史研究 第1巻」です。 盤珪禅師の言われる「不生の仏心」・「わが身の贔屓」というのが,大拙先生の言われる「無分別智」・「分別智」につながり,それがカルロスカスタネーダの「ナワール」・「トナール」へ,そしてアントニオダマシオの「中核自己」・「自伝的自己」へと相通じる,どれも同じことを違う言葉で表現しているのだろうなぁと改めて気がつかされました。

 

盤珪禅師については本日の管長ラジオから引用しますと・・・

 

当時大名からも招かれてお説法をなされていますが、どこに呼ばれても満席の方々であったようで、盤珪禅師がお説法をなさると、そのあとその国の風紀がよくなったと言われます。

 

盤珪禅師は、禅師のもとで出家した弟子が四百余名、法号を受けて弟子の礼を取るもの五万余人、諸国に創興された寺院が四十七、お亡くなりになった後に勧請して開山とする寺が百五十に及ぶといわれています。

 

盤珪禅師の語る禅が如何に多くの人に伝わったのかを端的に紹介していただいております。

 

そして太田ワークショップは,社会人のための禅修行階梯第3部の講義が始まりました。

 

精神科医でいらっしゃる太田先生も,公案や禅語といった中国の言葉を使わずに,平易な大和言葉で禅の心を伝えようとされた盤珪禅師のように一般人のために公案修行に変わる修行階梯を発案され,日日更新されております。

 

生徒の立場から言うのもおこがましいですが,まだ発展途上にあるようで会員からの質疑応答で表現や,章立てなどテキストが変わることも度々です。

 

ぜひ皆さんも聴講してみませんか?

今なら開発スタッフの一員になれるやもしれませんよ。(⌒∇⌒)

次週は第5週なので,18時から輪読会,そして坐禅一柱香の予定です。(Ym)