WBC熱に浮かれている日本列島
を横目で見ている私
はい、熱に浮かれている日本列島を冷ましている人がいるとしたら、
それはワタクシ、
うえだしょうこ
でございますよ。
準決勝の翌日の「凄かったよねー」っていう会話にも一切ついて行けず。
決勝の日の昼間。
5歳のこどもに「侍ジャパン勝ったの?」と言われて、「侍ジャパンって、今、サッカーしてた?」とか頓珍漢な答えを返す40の女。
ふふふ。
別にいいんだ。
そんなんでも
正直に告白します。
私、体育大会系に一切興味を抱けません。
オリンピックですら、「日本人が金メダルだって!!」に「へーーー、で?私の友人じゃないしな」ってなります。
「だれ、それ?」
今でこそ、こうやってブログに書くことにも何にも思わないけどさ。
かつては結構この自分の冷たさが、嫌だったんだよね。
日本中が感動しているのに、私は何に感動をしているのか分からない。
きっとどこか人間として欠陥しているんだわ。
そう思っていたの。
この広い日本のどこかに、私の同志がいると信じてる!
周りがスポーツのイベントのたびに浮かれているのに、一切着いて行けず、着いて行けない自分に後ろ暗さすら感じてしまって、自分って冷たい人間だなって悲しくなる。
そんな人、いるよね?!!
えっ、いない?
そんなこと、・・・ないよね・・・
私がこんな私でも良いやって思えるようになったのは、
『どんな自分でも〇』
って思うようにしているから
とかではなくてさ。
←違うんかい!!
『人は変化していく』って腑に落ちたからなんだよね。
今、感動できなくても、いつかするようになるのかもしれない。
ならないかもしれない。
その変化を見つめるのも楽しいじゃんって、心の底から思えるようになったから。
スポーツイベントに付いて行けない自分を後ろ暗く思うってことは、本当はどこかで感動をしたいからなんだよね。
私だって、他人事で感動してみたい!!
そう思ってしまう自分を許してあげることにしたわけよ。
そして本当に必要ならそう変われるだろうって思ってる。
あるいは、自分だけの感動できるポイント見つけて、そっちで一人感動しているかもしれない。
そうやって、自分自身をもっともっとおおらかな目で見つめて、先々の変化までゆったりと見届けてやろうって思える。
だから、前ほど感動しない自分に悲壮感を抱かなくなったわけ。
理想の自分と、今の自分が違う。
いいんだよ、それで。
だってこの先はまだ未知数。
今と未来の私はイコールじゃない。
どう変化していくのか、楽しみじゃん。
そうやって、自分自身のことすら楽しめるようになったら、ホンマに人生最高よ