好きな言葉②☆ | かずあきの生き方不器用な そんな男の日常☆

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ふむふむー

なるほどー

前回の記事では、1つ目の好きな言葉について書きましたー

今回は2つ目ですー

それは
「孫思う 強く生きてと 雪の朝」
という言葉です。

これは、自分の祖父、ここでは、じーちゃんと呼ばせて頂きますー

そのじーちゃんの言葉です。

以前にも、じーちゃんの事を記事にした事がありますが、自分は小さい頃からじーちゃん子でした。

ずっと、じーちゃんについて回って可愛がってくれました。

色々な物を買ってくれました。

小学生の頃は、自分の部屋がありませんでしたが、中学生になるに辺り「自分の部屋が欲しいだろう」とじーちゃんの部屋を譲ってくれました。

ずっと可愛がってくれていたじーちゃんですが、中学生の時に自分がグレてしまい、色々な人に迷惑をかけてしまった時期がありました。

色々な人に怒られていましたが、その時は、じーちゃんからは、怒られませんでした。

人かは怒られる日々で自分は何やってるだろうと毎日のように思ってましたが、もう戻れないと思いグレ続けていました。

そんな中、ある日じーちゃんが自分の部屋に来たんです。

その時、流石に怒りに来たと身構え緊張が走ったのですが、じーちゃんは怒る事は無く、じーちゃんが行った戦争の話を始めたんです。

涙を流しながら話してくれたんです。

じーちゃんの涙を初めて見た瞬間で驚き戸惑いもあり、戦争の話が頭に入ってきませんでしたが、親戚の集まりなどで親戚から戦争時代の話を聞かれても、人前では頑なに戦争時代の話を拒んできたのを何回も見た事があるじーちゃんが自分の為に涙を流しながら話してくれたというのは、とても強いメッセージだと捉えました。

自分の中で「このままではいけない」という思いが強くなり、更生へと導いてくれたと思います。

それから約1年後に亡くなってしまいましたが、入院中は、よくお見舞いに行きました。

1人でも行きました。

当時1人でお見舞いに行くような性格では無かったので、家族も驚いていたのをよく覚えています。

お金とか物とかでは無くて、今出来る何らかの形で恩返ししたかった気持ちが強かったですね。

体がキツいだろうに最後まで、人の体の事を気に掛けてくれていましたね。

そんな自分の誇りである、じーちゃんの言葉なんです。

実はこの言葉は、じーちゃんが部屋を譲ってくれてからずっと部屋にあったんですが、生きている内は知らなかったんです。

ある事に気付いてなくて、亡くなってから部屋をボーっと見渡した時に掛け軸としてあったんです。

えっ?昔からここにあったっけ?
急に現れた?
と驚くぐらいに衝撃でした。

何かこう、じーちゃんからの強いメッセージと感じています。

ただもう良い大人ですが、じーちゃんが思ってくれているような「強く生きて」いる自分には、なれていないんですよね。

そんな自分が嫌になる事が沢山ありますが、人生を掛けて、じーちゃんを心配させないような「強く生きて」いける人間になりたいと思います。



ちょっと長くなってしまいましたー
以前書いた記事と被ってしまい、すみませんm(_ _)m

今回はこんな感じですー

最後まで読んでくれてありがとうございました😌

体調にはお気をつけて下さいませー  

コロナにはお気をつけて下さいませー      

Take it easy!    

Have a good day☆  

志高く⤴︎⤴︎    

Peace✌    

バイバイ😸



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