前章【パンドラの箱が開いてしまって】で取り上げた「様々な問題」の打開のためには私たち自身の認識や行動が必要不可欠なのだが、それを巨視的にとらえると、個人と社会の問題ということになる。人間は社会的動物ではあるが、個体としての内側の問題に対する考察をないがしろにして、外側=自分たちを取り巻く社会的状況にのみ言及するのはおこがましいであろう。
そもそも「封じ込められていた悪」が次々と飛び出してくる有様のキッカケとなったのは「あの事件」だったが、それは政治的テロリストではない若者が自分自身の人生の清算を図ろうとした凶行であった。「宗教2世問題」に対する社会的関心は広がりを見せているが、これは国民全体の家族・家庭の問題、すなわち、社会の最小単位の内部における闇に光が当てられない限りトンネルの出口は見出せまい。
ヒトにとって幸福とは何だろう。幸福感を生み出す土台とは何か。その「幸せのBASE(土台・基礎・基地)」の構成要素は「心技体」に他ならない。人生を生きる上での精神・技能・身体、どれ一つ欠けても幸福感は湧いてこない。
まずはその第一要素「心」にスポットを当ててみよう。明るさに満ち、しなやかで、勁(つよ)い心は、人生を豊かに生きる上でまさにBASEになる。生れ落ちてから社会に出るまで、未成年の心身を保障するのは、家族であり家庭であり、その責任は親が負っている。「心」を育むのは無償の愛である。
子どもは愛情を受けることで心が安定し、絶対的な信頼感を親に抱く。自分は掛け替えのない存在として尊重されているという実感が湧く。強制や支配でなくじっと見守る親の愛が子どもの心にしみわたる。
ここにある「母の愛」がはたして現代にも脈々と流れているのだろうか。