医学に差別されてきたのは、そしてされていくのは、「標準より劣っている」とされるひとたち(2/5)

◆「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージの作り方

 医学はひとを、世間の人々とおなじように、つぎの3つのグループに分ける、と言えるのではないでしょうか。

  • A.標準的なひとたち
  • B.標準的なひとたち(A)より優れているひとたち
  • C.標準的なひとたち(A)より劣っているひとたち


 この3グループはそれぞれ、世間ではよく、こんなふうに呼ばれますね?(ちなみに俺はそんなふうにひとを呼ぶことは決してしません)

  • A.普通のひとたち
  • B.良い意味で、普通じゃないひとたち
  • C.悪い意味で、普通じゃないひとたち


 さて、ここで、ひとを正常もくしは異常と判定するというのは、何をどうすることだったか、復習しましょう。


 こういうことでしたよね。


 ひとを正常と判定するというのは、

  • ①そのひとのことを、こちらがもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していると見、
  • ②その「イメージに合致している」ことを問題無しとすること。


 いっぽう、ひとを異常と判定するというのは、

  • ①そのひとのことを、こちらがもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見、
  • ②その「イメージに合致していない」ことを問題視すること


 である、って。


 つまり、ひとが正常であるか、それとも異常であるかを、こちらのもっている「ひととはコレコレこういうものだというイメージにそのひとが合致しているか、していないかで決める、ということですね。


 では、いまから、ひとを正常もしくは異常と判定するさいに医学が拠り所とするその「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージについて考えてみますよ。


 そのイメージはどうやって作られるのか


 医学は、世間の人々とおなじく、ひとを3グループに分けるのではないかということでしたよね。医学は、その3グループのなかのグループA標準的なひとたちのありようを指してまさにひととはコレコレこういうものだとするのではありませんか。


 要するに、ひとが正常なのか、それとも異常なのかを決めるさいに医学が拠り所とする、「ひととはコレコレこういうものだというイメージは、いわば、グループA標準的なひとたちのありようのこと、と言っても構わないのではありませんか。


1/5に戻る←) (2/5) (→3/5へ進む