『白米一俵御書』 弘安三年 五十九歳
南無と申すは天竺のことばにて候。漢土・日本には帰命と申す。帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり。我が身には分に随ひて妻子・眷属・所領・金銀等もてる人々もあり、また財なき人々もあり。財あるもの財なきも命と申す財にすぎて候はず。さればいにしへの聖人賢人と申すは、命を仏にまいらせて仏になり候なり。
(御書1544㌻8行目~11行目)
【通釈】
南無というのはインドの言葉である。中国や日本では「帰命」と言う。帰命とは、我が命を仏に捧げるということである。我が身には分に応じて妻子・眷属・所領・金銀などを持つ人々もいる、また財を持たない人々もいる。財がある人も無い人も、命という財にすぎる財はない。よって、昔の聖人・賢人と言われる人は、命を仏に差し上げて仏になったのである。