一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

<当ブログではアフィリエイト広告を利用しています>


夏嫌いを克服できるかな?―ビー玉とか「はな恋」とか

f:id:tsukikana:20210811114721j:plain

 

立秋を過ぎ、暦の上では秋になったが、危険レベルの猛暑はまだしばらく続きそうだ。

 

何もしなくても、暑いというだけで夏は疲れる。特に後半は疲労がたまってきているので、意識して心身をいたわりたいもの。昨年に続きコロナ禍の中で迎えている今年の夏は、なおさらだ。マスク、息苦しいね。

 

夏、という言葉は好きなんだけど、実際は夏が嫌いな私。
汗かくのイヤ、虫多いのイヤ、日焼けイヤだし日焼け止め塗るのもイヤ。
豪雨とか台風とか熱中症とか、心配事がいっぱい。
寝つきは悪いし、食欲はなくなるし、頭はぼーっとするし、体はだるいし・・・

 

いつからかな、本当にこの季節が苦手になってしまった。

 

でも、あんまり「嫌い嫌い」言ってても、毎年逃げられないわけだし、嫌ってばかりいるのもつまらない。嫌うって、なんだか負のエネルギー使ってメンタルに悪そうだから、できるだけその感情を遠ざけたいという思いもある。

 

それで私、今年は夏の「悪口」を控え、良い所を褒め(笑)、夏嫌いを軽減しようと努めているのである。まずは、夏が好きだった子ども時代を思い出して・・・

 


しかし、そもそも子どもの頃の夏は、今のような暑さではなかったよ。エアコンなんてなくて、6月になると扇風機が登場。それでひと夏、困らなかったと思う。そしてもちろん、夏休みという楽しみもあったから、夏が好きでいられたのだ。

 

プール開きの日は、ドキドキした。まだ水は冷たいんじゃないかと、恐る恐る足から入った。最初のうちは冷たいけど、しばらく水の中にいると、水の外に出たときの方が寒く感じられるのが不思議だった。

 

ちょっと潜って、下から水面を見上げるのが好きだったな。喧騒が遠のき、青空が水の向こうに揺れてキラキラと輝いて、なんて素敵な世界なのかと思った。

 

市営プールに行くときは、母がお小遣いをくれた。プールの近くに屋台が来ていて、行きはアイスが食べたいなあと思っていたのに、帰りにはアツアツのタコ焼きが食べたくなるのが可笑しかった。そう、1時間も水で遊ぶと体はしっかり冷えて、震えるほど。照りつける太陽の存在がありがたかったのを思い出す。

 

今はアブラゼミばかり幅を利かせているようだが、昔はミンミンゼミの声をよく聞いた。
ミーン、ミン、ミン、ミン・・・
という音は眠気を誘い、のどかなお昼寝のBGMとなった。

 

母がお腹に掛けてくれたタオルケットは、確か淡い水色。窓の外には、白い入道雲。わずかに揺れている風鈴の短冊・・・

 


毎年ではないが、家族で海水浴にも行った。山にも行った。紫外線のことなんて、何にも気にせずに、真っ黒に日焼けして遊んだものだ。日焼けは平気だけど、後で皮がむけるのは、幼いながらも恥ずかしかったなあ。

 

民宿とか旅館とか。家でない所にお泊りするのが、とても新鮮で嬉しかった。父も母も、普段と違う様子を見せてくれるし、夏休みの絵日記に描いた通りの、にこにこ顔が多かったと思う。

 

清水に住んでいたときは、父が鈴虫を飼っていた。近所には畑や蓮池があって、バッタやザリガニを捕まえるのも面白かった。今思い返すと、なんでああいったものが触れたんだろうと、ちょっと鳥肌がたつけど。

 

縁日。港まつり。花火大会。そうそう、きも試しや林間学校での百夜話も忘れられない。夏には夜の楽しみもたくさんあったね。

 


そんな風にノスタルジックな夏を思い出しても、もう子ども時代には帰れないし、当時とは最高気温も全然違ってしまっているわけで、あの夏を再現することはできない。そもそも、ステイホームだし。

 

ならば、もっと小さな夏の工夫はどうだろう。

 

小学何年生のときだったかな。ベランダに咲いていた朝顔を、かき氷用の製氷カップに入れて、水中花ならぬ氷中花を作って遊ぶのが楽しかった。今は、フラワーアイス、なんて呼ぶのかな?ガラス皿に乗せて飾り、食卓の中央へ。母が褒めてくれたっけ。
また、作ってみようかな。朝顔、ないけど。

 

そうだ。食べられるハーブの花などを、アイスキューブに閉じ込めて、冷たい飲み物に入れるのもお洒落だし楽しそう。ジュースやハーブティーはもちろん、ウイスキーの炭酸割りにも合うかもしれない。

 


水や氷を連想させるもの、例えばビー玉などを、ちょっと目に入る所に置くだけでも、「涼」を演出してくれる小さなオブジェになる。

 

私は先日、塩スイカラムネというものを見つけて買って帰ったのだが、飲み終えてから夫が取り出してくれたビー玉があまりに可愛くて、窓辺に飾ってしまった。笑
(昔はビンを割らないと取り出せなかったけど、今は違うのね)

 

朝の光を受けてキラキラ輝くビー玉。光の粒が散乱して、小さな宇宙をつくっている。

 

ああ、綺麗だなあ、ビー玉ってこんなに魅力的だったかなあ、と思って、写真に残しておきたくなった。

 

涼し気で、楽し気で、詩的。
こんなささやかなあしらいなのに、ちゃんと心が癒されたことを実感できた。
そして、ついでに夏のこともちょっとだけ、好きになった。

 


週末は、夫とふたり、家で映画を観た。
『花束みたいな恋をした』という、可愛らしいタイトルの。

 

この春放映されていたドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』がすごく好きで、終わってしまって寂しかったのだけど、同じ坂元裕二さんの脚本で映画があると知って、独占配信中というU-NEXT にアクセスした。(31日間、無料トライアル♪)

 

私はひとりで翌日もう一度観て、同じところでもう一度泣いた。やっぱり私、坂元裕二さん脚本の作品って好きだ。優しくて可愛くて愛おしくて、でも結構深い所をえぐってくる。「きっついなあ」と辛くなる。余韻が長い。

 

夢見た頃の「世界の美しさ」は、夢が損なわれることによって、より輝くのだろうか。もう取り戻せないと知って余計に、眩しく貴く思い出すのだろうか。いやむしろ、目を背けたくなるのだろうか。

 

思い描いた自分になれなかった、思い描いたふたりでいられなかった。生きていくためには現実と折り合いをつけ、周囲の大人たちにまみれながら、なんとか前に歩いていかなければならないから。例え、自分がかつて軽蔑していたような、ああはなりたくないと思っていたような大人に、なってしまっていても。

 

そういう思いを経験した若者たちは、きっとずっと昔からいたはずだ。そんな「元若者たち」にもきっと、この映画は刺さるんじゃないかな。

 

ふと花束のような恋の日々を思い出す。それは甘く懐かしいだけでなく、残酷な一面も、きっとあるよね。それって、5年後の回想と30年後の回想とでは、どんな風に違うんだろうね。花束の色や香りは、変わるのかな。

 

ふわっと可愛いタイトルだし、W主演の菅田将暉くんと有村架純ちゃんも可愛くて、セリフも軽快で洒落ていて、軽く楽しむ気持ちで見始めたけど、甘かった。見終わると、ふんわりどころかズンと重い宿題が残されたように感じる。そう、私も「元若者たち」のひとり。

 

公式サイト

hana-koi.jp

 


映画館にも安心して行ける日が、早く来てほしい。でも、ネット配信の便利さも本当にありがたい。猛暑とか感染拡大とか、外の環境が悪ければなおのこと、ありがたさが身に染みる。(そして今、私、10年ぶりくらいにぎっくり腰!)

 

観てみたい映画は山ほどある。もう一度観ておきたい映画も山ほどある。Amazonプライムビデオのウォッチリストも、U-NEXTのマイリストも、たまっていく一方だ。

 

夏バテしている場合じゃない。

 

Sponsored Link