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野良ネコ音吉のジャンル破壊音楽ブログ

近代オペラの基となったカストラート

f:id:riota_san:20200827140141j:plain 映画『カストラート(Farinelli Il Castrato)』はご覧になりましたか? ベルギーの監督ジェラール・コルビオ(Gérard Corbiau, 1941 - )が1994年に製作した映画で、18世紀のカストラートファリネッリ(Farinelli[本名]カルロ・ブロスキ(Carlo Broschi), 1705 - 1782)の生涯を描いています。
 カストラート(castrato)とは何でしょうか?
 "castrato" はイタリア語ですが、語源のラテン語 "castratus" は「去勢された」と言う意味で、英語でも宦官のことを説明するときに "A eunuch is a man who has been castrated to serve a specific social function." なんて具合に使われます。
 音楽で言うカストラートとは、去勢された歌手を指します。第二次成長期を迎える前に去勢を行うと変声期が訪れないことは古くから知られていて、ボーイ・ソプラノを維持するための手段として幼去勢が行われたんです。今では信じられないことですが。

歌声はソプラノ(女性)とカウンターテナー(男性)の合成です。

  何故こんなことをしたんでしょうか。諸説入り乱れてはいますが、記録として辿れるのは1562年にスペインから「貢ぎ物」としてヴァチカンに送られたカストラートの存在です。
 聖職者はおろか典礼の執行においても女人禁制だったローマ・カトリック教会では、古くは8世紀から少年と成人男性を教会付の歌手として訓練するための学校(schola cantorum, 歌手たちの学校)を設けるなど、男性歌手の育成に力を入れてきたのですが、ボーイ・ソプラノには声量が劣るという決定的な欠点がありました。
 一方でカストラートは、去勢によって声帯の成長は止まって声変わりはしませんが、成長ホルモンが止まるわけではなく、身体は普通に成長して成人男性の骨格や肺活量と変わらないので声量も問題とならず、豊かなトーンと非常に広い声域で歌うことができました。よってカストラートの存在を知ったカトリック教会が注目しないはずもなく、教皇クレメンス8世(Clemens Ⅷ[在位]1592 - 1605)は、システィナ礼拝堂付聖歌隊のオーディションで少なくとも二人のカストラートを採用しています。これがローマ・カトリック教会による「公式」のカストラート公認第1号[及び第2号]です。
 ただクレメンス8世に先立つシクトゥス5世(SixtusⅤ[在位]1585 - 1590)が、1588年に「女性歌手および女優追放」令を発布し、女性が教皇領の劇場舞台に出演することを禁止したことが、いわゆる「女形」としてのカストラートが欧州に広まったきっかけであるといえるでしょう。

 こうして市民権を得たカストラートは、主にイタリアの音楽学校で組織的・体系的に養成されるようになり、彼らの養成課程から、とくに近代オペラで用いられるベルカント(Bel Canto)唱法が生まれます。またこうした音楽学校の講師にはスカルラッティ(Alessandro Scarlatti, 1660 - 1725)などの有名な作曲家が名を連ねていて、カストラートが現代に続く音楽の流れに与えた影響を垣間見ることができます。
 音楽院の教師にはオペラ作曲家で声楽教師でもあったポルポラ(Nicola Porpora, 1686 - 1768)がいますが、彼こそ映画『カストラート』の主人公であるファリネッリを育てた人物でした。
 ファリネッリは、おそらく古今を通じてナンバー・ワンのカストラートと言っていいでしょう。音域が3オクターブ半もあったといわれ、歌声を聞いた女性は、かつてのビートルズ・ファンのように失神者が続出したそうな。1737年にはスペイン国王フェリペ5世(Felipe V, 1683 - 1746)に招かれ、王の寝室で歌う(なんで寝室だったのかは不明)栄誉に浴し、晩年はスペイン王室から莫大な年金を支給されて優雅に暮らしたとのこと。全盛期のカストラートの人気ぶりがうかがわれますね。

 しかしファリネッリの存命中からカストラートの足下が揺らぎ始めます。
 教皇ベネディクトゥス14世(BenediktⅩⅣ[在位]1740 - 1758)が去勢手術を行った人を破門に処し、身体を人為的に変える行為としての切除(カンタンに言って去勢)を禁じるおふれを出したんです。違う人物とはいえ、公認しておきながら「今更なんだ!」のお話なんですが、実は、かねてから神から授かった身体を切除するというという行為は非合法とされていて、むしろクレメンス8世が変だったと言うべきなんです。
 カストラートとして成功すれば莫大な富と名声が得られたために、我が子を去勢する親が後を絶ちませんでしたが、カストラートの全盛期ですら大っぴらに「去勢した」とは言えず、「先天性の奇形だった」「落馬して局部に怪我をし、切除せざるを得なかった」「豚に食いちぎられた」なんて言い訳を周囲にしなければならないほど、一般的に去勢はタブーでした。
 よって去勢しながらカストラートになれなかった9割がたの人々は、その後の人生を社会の日陰者として生きる他はなく。教皇クレメンス14世(ClemensⅩⅣ[在位]1769 - 1775)が、人工的な声をもたらすのを目的とした歌手の養成を禁じるという明確にカストラートを禁じるおふれを出した後も、子どもを去勢する親は後を絶たちませんでした。やむを得ずクレメンス14世はシクストゥス5世の出したおふれを取り下げ、女性が教会で歌い、劇場の舞台に立つことを許可し、以降、徐々にカストラートは衰退に向かいます。身勝手というほかはありませんが、これが歴史というものなんでしょうか。

最後のカストラート、アレッサンドロ・モレスキの歌声。カストラートを知る貴重な資料です。

 1902年、教皇レオ13世(LeoⅩⅢ[在位]1878 - 1903)が、「カストラートを永遠に追放する命令」に署名。劇場に居場所を失い、教会で細々と歌い続けていたカストラートでしたが、最後のカストラート、アレッサンドロ・モレスキ(Alessandro Moreschi, 1858 - 1922)が1913年にシスティーナ礼拝堂を去り、カストラートの歴史は終わりを告げたのでした。
 ゴージャスで楽しいイタリア・オペラですが、その華やかな唱法の成立の陰には、大人の欲得で去勢され、過酷なトレーニングを受けた少年たちがいたのです。