ハイエース4人家族で車中泊〜ナローボディでも快適なバンライフを〜

ビルダーのカスタムはとても素敵だけれど、紹介写真には荷物が載っていない。実際の車中泊は荷物との闘い。狭苦しい車内をいかに効率的に収納を工夫するか、4人家族でも楽しく快適なバンライフが送れるブログをお届けしています。

車中泊エッセイ「わざわざ行く」ということ

ナローボディのハイエースをいろいろ工夫して、家族4人で車中泊やバンライフを楽しんでいます。
今回は、車中泊で「わざわざ出かけていく」ということについて少し考えてみたいと思います。

週末の夕方ふらっと車中泊に

ある土曜日の午後、私たちは子どものクラブが終わったあと支度して、16時前くらいに家を出発しました。
車で琵琶湖畔までふらっと車中泊に出かけるためです。
私たちは、時々こうやって近場車中泊や車中泊キャンプに出かけます。
近場車中泊の最大のメリットは移動時間が少なく済み、その分現地で過ごす時間を目いっぱい楽しめることです。
あるいは週末に用事があって夕方からしか動けないという場合でも、短い時間で車中泊のエッセンスを十分味わえるというのも大きなメリットだと思います。


私たちは途中、比良山の麓にある温泉に立ち寄って早めに入浴を済ませ、安曇川のスーパーでおやつやデザート、翌朝のご飯の買い出しを済ませてから、奥さんが前から行ってみたかったという、「美松」という料理屋さんに行ってみることにしました。地元では結構有名なお店なので、土曜の夜、予約なしでは無理かなと思いながら恐る恐る覗いてみると、何とか入れてもらうことができました。
小さな玄関からは想像できないほど中は広い作りになっていて、私たちは古い重厚な雰囲気の建物の中を奥の座敷へ通され、貸切のような畳の間でゆっくり過ごすことができました。


そのお店は、洋食のコース料理があるかと思えば、居酒屋のような単品メニューもあり、初めて訪れた私たちは何を注文しようかと戸惑いながら、書かれているメニューからいくつか料理を注文しました。
はじめてのお店の場合、出てくる料理のボリュームが想像つかなくて、どれくらい頼めばいいか量の加減が分からないのですが、それもまた新鮮なドキドキを楽しめます。ここのお店はいい意味で想像を裏切られるボリューム感でした。

メニュー表は一見すると値段が高いように思えますが、出てくる料理のボリュームや、付け合わせなどのバランスを考えると十分納得できる内容で、結果的にはむしろ割安ではないか?と思える味と内容でした。
やはり口コミや評判のいいお店だけのことはあると思います。



(食べかけの写真しかなくて申し訳ありません)


私たちは久しぶりにゆっくりと食事を楽しみ、週末の夜を堪能することができました。その後、夜の琵琶湖畔で車中泊をして、翌朝は朝日に輝く湖畔の風景を楽しみ、大いにリフレッシュすることができました。


「わざわざ出かけていく」ということ

さて、今回のテーマである「わざわざ行く」ということですが、これには2つの意味があって、その2つはいずれも私たち家族が車中泊に求めるものをある意味とてもよく表しているなと思うのです。

まず1つめの「わざわざ出かけていく」の意味は、今回のようにたとえ土曜の夕方まで別の用事があったとしても、それを済ませてから用意して、遅い時間からわざわざ車中泊にでかけるという意味の「わざわざ」です。
普通なら、「今日は用事で終わってしまったね。あとは家でのんびりテレビでも観て過ごそうか。」って感じになってしまいがちですが、そこをあえて、遅い時間からでもわざわざ近場へ車中泊に出かけるというところに意味があるのだと思います。


ハイエースが家族のベース基地のような存在になっているわが家では、特別なことがなくても車に乗ってみんなで出かけていき、そして外食したり外のお風呂に入ったり、夜も家に帰らずにハイエースのリビングで過ごす時間がみんな大好きなのです。週末家にいると、片付いていない家のあれこれがどうしても目に入ってしまい、ゆっくりしたいのに片付けや掃除に手を付けてしまって、結局休まらないことになってしまうのですが、車で泊まりに出てしまえば逆にあきらめがつくというか、目の前に用事がないのでかえってリフレッシュできるのです。そうやって体と気持ちがリフレッシュできると、また次の1週間頑張ろう!という気持ちになれるから不思議です。
疲れてだらだら過ごして終わってしまいがちな週末を、短い時間でもうまく使って心身をリフレッシュさせるのに、近場車中泊というのはとても適した手段だと思います。

もう一つの「わざわざ出かけていく」ということ

近場車中泊とは正反対に、私たちは時々、古い蒸気機関車に会いに行くためにわざわざ長野県の諏訪湖まで、車中泊の旅に出かけていくことがあります。今までに何度諏訪湖を訪れたかもう分からないくらい、毎回毎回わざわざ高速に乗って私たちは諏訪湖へ出かけていくのです。
もっと他に、これまで一度も訪れたことのない場所をいろいろ巡る車中泊旅もしてみたいと思うのですが、それはそれとして開拓しつつ、やはり私たちは諏訪湖のほとりの蒸気機関車にわざわざ会いに行くのが好きなんです。


諏訪湖の蒸気機関車が素晴らしいから皆さんも是非行ってみてください、ということが言いたいわけではないのです。わざわざ出かけていくその場所は人によってどこでもいいんですが、遠くにあるどこかへわざわざエネルギーを割いて出かけていくというのは、案外誰にでもあることのような気がして、そのことが意味するものっていったい何なんだろう?ということを、少し考えてみようということです。


これは車中泊旅に限ったことではないと思います。私の友人は毎年クリスマスに夫婦で神戸の山の手にある小さなイタリアンのレストランで食事して、海沿いにあるオリエンタルホテルに宿泊するというお決まりのコースを、もう何年も繰り返しているらしいのですが、これなんかもまさに「わざわざ出かけていく」に当てはまると思います。
「毎年同じパターンで飽きないの?」と聞くと、「毎年同じパターンだからこそ味わえる喜びや幸せがある」と言うんですね。
1年に1度だけ訪れるイタリアンの店主と交わす会話にも年を追うごとに深みというか思い出が積み重なって、コロナで営業が苦しくても店をたたまずに何とか乗り越えてきたと話す店主がまるで旧知の親友のように思えたりするそうです。そして、毎回同じコースをルーチンのようにたどりながら、過去の幸せな時間と今の幸せとが重なり、目の前の現実を過ごしながら、同時に過去の時間の中へタイムスリップしているような、とても不思議な感覚に包まれるんだそうです。


もしかすると、私たちが諏訪湖のほとりの蒸気機関車に会いに行くのもこれと似たようなことなのかもしれません。
蒸気機関車だけが目的というわけではなくて、その往復に立ち寄る高速道路のサービスエリアでの家族でのひと時や、諏訪湖周辺のレストランやちょっと足をのばして塩尻や松本あたりでいただく美味しいお店の変わらない味や、そして何よりも、いつ行っても変わらない「そこにある風景」。そんなものたちに会うために、私たち家族は毎回同じように諏訪湖のほとりを目指すのかもしれません。遠くにあってたまにしかいけない場所が、次に行ったときも変わらずそこにあると何だかほっと安心する、その安心を確かめにいくために私たちは同じ場所を時々訪れたくなるのかもしれません。
そういう意味では、諏訪湖のほとりへの車中泊旅は私たち家族にとって、今と過去をつなぐタイムマシーンのような存在かもしれないと思えてきました。


ふるさとは遠くにありて想うもの


ふるさとといえる場所をもたない私たちにとって、遠くにある変わらない風景の中へくり返し訪れることで、やがてその場所が心のふるさとのような存在になっていく気がします。
子どもたちもまた、大人になってから自分の足で諏訪湖のほとりを訪れるのでしょうか?
その時目の前に広がる景色と、幼いころの楽しい家族の思い出がタイムマシーンのようにつながって、小さな幸せの気持ちが彼らの心に舞い降りてくれたら、親としてこれほど嬉しいことはありません。




最後まで読んでいただきありがとうございます。

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