今回で、松本シリーズも最終回になります。
最終回は、ラブドールのアイビーの松本城天守内部のレポートになります。
松本城は、戦災で焼失することもなかっため、当時の天守を実感することができます。
城内を進むと、いくつかの展示ケースがあります。昭和の修理の際に取り替えられた材などの資料が展示されています。
大天守二階には火縄銃を主とした「松本城鉄砲蔵」の展示があります。ここには松本市出身の故赤羽通重・か代子夫妻が寄贈した141挺の火縄銃と兵装品のうち、一部が展示されています。
場内から外の様子を観ると、入城するために多くの方が並んでいる姿が確認できました。
場内では階段付近は撮影禁止になっています。
通路として使われていない階段だったので、撮影できました。
城内は基本一方通行になっています。
ルールを守って、周囲に気を配りながら階段を上がっていく必要があります。
この先の階段は急になっています。
順番に階段を上がるので渋滞が発生していました。
こういう時の焦りは禁物ですね。
6階の天守最上部に上がってきました。
5階の作戦会議室は、東西に千鳥破風、南北に唐破風が取り付けられ、室内には破風の間があり、武者窓から全方向の様子を見ることができていました。
この6階は、5階よりもオープンな感じで外を観ることができます。
こちらが、6階から外を観た景色です。
屋根裏をみると、二十六夜神が祀ってあります。
元和3年(1617)松本に入封した戸田氏がまつったとされています。月齢26日の月を拝む信仰で、関東地方に盛んだった月待信仰が持ちこまれたものと解されています。
屋根裏を見上げると太い梁が井の字の形に組まれ(井桁梁/いげたばり)、四方へ出て軒をつくる垂木の下に、さらに太い桔木が外側に向かって放射状に配置されています。
これは桔木構造(はねぎこうぞう)と言われます。
月見櫓(つきやぐら)です。
現在は、改修工事中でした。
戦いのない江戸時代初期に築造されたため、戦いに備えて造られた天守とは大きな違いがあります。東西四間×南北三間で、月見櫓の北側、東側、南側の三方向が開口部ですが、柱と舞良戸という横に桟(さん)を打った薄い板戸だけの建物です。
月見をするときは、この舞良戸を外し、畳敷きの部屋で東から昇る月を愛でたのでしょう。
城内を巡ってきましたが、この階段を降りると出口になります。
城外に出ました。
最後に、石垣について説明をします。
天守・乾小天守・渡櫓の石垣は修理を施していますが、400年前に積まれたままで積み替えは行われていません。
天守台の石垣は野面積(乱積)で未加工の自然石を使用した石垣です。傾斜も緩いです。
今回をもって、松本シリーズは終了となります。
仕事の合間に立ち寄ったため、松本市内の一部しか紹介できませんでした。
旧制松本高等学校や旧開智学校など、まだまだ紹介したい建物などがありますが、次の機会とさせていただきます。
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