前回から継続する、広島県の尾道からのレポートです。
今回は、尾道ゆかりの25名の作家・詩人の詩歌・小説の断片等を千光寺山山頂から中腹にかけて点在する自然石に刻んでいる、静かな散歩道の「文学のこみち」を紹介します。
最初に登場するのは、徳冨 蘇峯(とくとみ そほう)です。
“海色山光信に美なるかな 更に懐う頼子の出群の才を
淋離たる大筆精忠の気 維新の偉業を振起して来たる“ が、刻まれています。
徳冨 蘇峯は、民友社をつくり国民新聞を創刊しました。
その著「近世日本国有史」は、頼山陽以降の在野の史家の第一人者と言われています。
正岡子規(まさおかしき)の句です。
“のどかさや 小山つづきに塔二つ”
この句は、日清の役に日本新聞の従軍記者として尾道を通過した時の作です。
西国寺の三重塔と天槃寺の海重塔を眺めたものと思われます。
十辺舎一九(じっぺんしゃいっく)です。
山陽道漫遊中の作が刻まれています。
“日のかげは青海原を照らしつゝ 光る孔雀の尾の道の沖”
「文学のこみち」は、まだ続きます。
前日は、雨でしたが、この日は雲一つない好天に恵まれました。
石碑を見ながら歩いていると、ちょっとした文学通になった気分になれます。
こちらでは、訪れた皆さんも、俳句のコンクールに参加できます。
投句箱は、千光寺ロープウェイ頂上乗場・千光寺鐘撞堂・浄土寺・西国寺・尾道駅に設置されていて、自由に投函できます。
志賀 直哉(しがなおや)です。
暗夜行路の断片が刻まれています。
“六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。ごーんとなると直ぐゴーンと反響が一つ、又一つ、又一つ、それが遠くから帰ってくる。其頃から昼間は向島の山と山との間に一寸頭を見せている百貫島の燈台が光り出す。それがピカリと光って又消える。造船所の銅を溶かしたような火が水に映り出す。”
大正元年の秋から同2年の中頃まで、千光寺山の中腹に居を構えていました。
その寓居は、現存しています。
林 芙美子(はやし ふみこ)です。
放浪記の断片が刻まれています。
“海が見えた。海が見える。五年振りに見る尾道の海はなつかしい、汽車が尾道の海へさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のように、拡がって来る。赤い千光寺の塔が見える。山は爽やかな若葉だ。緑色の海向うにドックの赤い船が帆柱を空に突きさしてる。私は涙があふれていた。”
大正5年尾道に移り住んで尾道第二尋常小学校(現土堂小学校)、尾道高等女学院(現東高等学校)を卒業後、苦をしのいで精進し、昭和4年に出世作「放浪記」を出し、新進作家として大成しました。
文学碑を巡りながら、散歩道を下ってきました。
あと少しで、千光寺の境内に入ります。
見晴らしの良い、岩山のところで記念撮影です。
次回は、千光寺を紹介する予定です。
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