さて、今回紹介するのは董旻の紹介じゃな。字は不明、生年も不明じゃが、没年は192年、同族である董璜と同じじゃな。さて、それでは董旻について見ていくとしよう。
さて、今回紹介する人物は董旻じゃな。
どうも、張郃だ。ふむ字が叔穎と言うことは・・・弟子さんよ意味が分かるか?
えーと、字が叔穎と言うことは、あ、董卓の字が仲穎ですよね、と言うことは兄弟、董卓の弟になるのですか。
うむ、正確じゃ。『英雄記』によると、董卓は次男で兄がいたが、兄は若死にしておるようじゃ。董旻は三男と言うことじゃな。
と言うことは董卓一族の重鎮と言うことになりますかね?
そう言うことになるじゃろうな、それでは董旻について見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて、董旻の名前は『董卓伝』のところに出てくるんじゃ。最初に名前が見えるのは上に書いているように董卓と兄弟であったことを表した『英雄記』の記述じゃな。
次いで名前が出てくるのは何苗を呉匡が殺害する場面じゃな。これも『英雄記』の記述じゃ。詳細は呉匡の紹介のところにも書いてあるので、そちらも参照してくだされ。
『英雄記』によると、呉匡は何苗が宦官と結託しているのではないか、と疑っていたんじゃ。宦官によって殺された何進は何苗に殺されたも同然。
そう考えた何苗は呉匡殺害に及ぶんじゃが、この時呉匡に協力したのが董旻じゃな。董旻は呉匡と共に兵を率いて何苗を攻撃し、朱爵門の下で何苗の殺害に成功するんじゃ。
そして同時に、何苗の軍も吸収することに成功したんじゃよ。
董卓同様、なかなか勇猛果敢で、抜け目がない人物だな。
さて、董卓が長安に遷都した時、一族の者を高位高官につけて言ったんじゃが、当然董旻もこの恩恵にあずかるんじゃ。
董旻は左将軍に任じられ、鄠侯に取り立てられるんじゃ。
董璜と違い、将軍号を授かっている、と言うことは実戦部隊の指揮官として軍の中核を担っておった、と言うことだな。それにしても自身と同じ左将軍とは・・・複雑な気分だな。
そう言えば、張郃殿も曹丕殿が後を継いだ時、左将軍に任じられたんじゃったな。
さて、こうして繁栄を謳歌していた董一族じゃが、破滅はすぐそばに足を忍ばせておったんじゃな。董卓が長安で王允・呂布達に殺害されると、郿にいた董旻達一族の人間は皆、部下たちの反乱により惨殺され射殺されてしまったんじゃよ。
董卓と共に繫栄し、共に滅びたわけじゃな。
まあ仕方ない話だな。因果応報とはこのことだろう。
そうじゃな、さて、董旻の紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行こうかの。董旻は全作品に登場じゃな。。
能力評価
董旻は董卓軍の中核を担う人物として、軍事面で董卓を支えておったと思われるんじゃ。そのことから軍事面の評価を高めとしたんじゃ。
その一方、政治面は董卓同様低めの評価じゃな。呂布や董卓ほどではないが、遊撃部隊の指揮官として使える人材じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、董旻の能力評価じゃな。
ふむ、お主の評価は結構高いのだな。
確かに他の作品と比べても軍事とか高めですね。
まあ一応何苗撃破などの実績もあるし、董卓軍の中核を支えておった、と考えると少し高めにした方がええ、と思ったんじゃ。
ふむ、董卓の能力を少し受け持っておるような評価、と言う感じか。
そうじゃな、一族の中からも後継候補となる人物が一人ぐらいは欲しいからのう。さて、董旻の紹介はここまでじゃな。良ければ次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。