三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

泄帰尼(せつきでい) 字:不明(?~?)

今回は泄帰尼と言う人物の紹介じゃな。彼は歩度根の弟、扶羅漢の息子であり、軻比能にも目をかけられておった人物だったんじゃ。しかし父が軻比能に殺されておったことから、軻比能とは相いれず、最終的には魏側にて軻比能としばしば戦うんじゃよ。

 

さて、今回は泄帰尼の紹介じゃな、歩度根の弟扶羅漢の息子であり、父が殺され部曲が軻比能に吸収されてから一時期は軻比能に従っておったんじゃ

どうも、張郃だ。だが、歩度根が次のように説得し、誘いをかけるのだ。

「お前の父親は軻比能に殺されたのに、仇を報じようともせず、かえって敵の下に身を寄せている、今はお前を手厚く待遇しているかもしれぬが、これはお前を殺そうとする計略なのだ。私の下に戻るにこしたことはない。私はお前と血のつながった間柄だ。敵の下にいるよりもずっと良いことは言うまでもないではないか。 

なるほど、それで歩度根側に付いた、と言うことですね。

そう言うことだな。さらにその後は牽招殿や田豫殿の指揮に従って軻比能や彼配下の軍と戦い、これを打ち破っているのだ。 

指揮官としての力量もしっかり備わっていた、と言うことですね。

うむ、更に軻比能が歩度根と手を組み、魏領内を荒らすようになった際に一時的に従うものの、魏の討伐軍が編成されるとそちらに降伏し、再度軻比能に敵対するんじゃよ

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 泄帰尼(20歳)  110 70 55 60
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓
 泄帰尼(45歳)  145 101 84 90

 

さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。

軍事・統率

魏志鮮卑伝』によると軻比能は自分が泄帰尼の父親を殺害していることから、特別に泄帰尼に目をかけた、とあるんじゃ。

魏志『牽招伝』を見ると、文帝曹丕の時代に歩度根と泄帰尼は魏に従うんじゃが、この頃牽招の指揮の下、雲中郡にて軻比能を討ち、これを大いに破った、とあるんじゃ。

更に魏志鮮卑伝』では、228年には田豫の指揮の下、鬱築鞬を討ちこれをてひどく打ち破った、とあるんじゃよ。

鮮卑族の中でも軻比能を除けば実績は突出しているな。案外父を殺したから、と言うだけでなく、本気で泄帰尼のことを軻比能は気に入っていたのかもしれんな。 

知謀・政治

魏志鮮卑伝』によると233年、軻比能が歩度根に働きかけ、同盟を結ぶと、彼らは幷州に侵攻し、略奪を図るようになるんじゃ。じゃが秦朗が討伐に向かってくると、泄帰尼は朝廷に降伏し、帰義王の位を授かり、幷州に居住することを許されるんじゃ。この際には鼓吹等を賜るなど、魏からかなり厚い恩寵を授かったようじゃな。 

政治的判断に優れていた、と言うことで政治もそれなりに高いのでしょうが、それ以上に父を殺した軻比能と、その軻比能になびいた歩度根が許せなかったのでしょうね。

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 泄帰尼  63 69 33 42 47

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 泄帰尼  7 3 4 2 3 5

 

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簡単解説

三国志14と天舞三国志にも出ているのですね。

総合力ではどちらも軻比能に、ちょっと及ばないような能力になっているな。  

そう言う意味で師匠の評価は軍事面がどちらも結構高い値になっていますが、傾向は似ていますね。

確かに全体的には軻比能が上だが、所々で凌駕している部分はあるな。三国志14はさすがにすべての能力が劣っているか。

実際は状況判断、軍事的才幹いずれも鮮卑族の中では優れていた、と思うんじゃがな。150近い能力を持つ武将がぽつぽつ出てくると、ちょっとワクワクするぞい。さて、そんなところで今回はここまでじゃな。

それでは俺も帰るとしよう。次もまたよろしく頼む。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。