三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

陸遜(りくそん) 字:伯言(183~245)その2

さて、今回陸遜の2回目の紹介じゃな。今回は陸遜の戦いじゃが、まずは関羽を追い詰めた戦いでの陸遜の動き、ここを見ていこうと思うんじゃよ。動きを見るとさすが陸遜、抜け目なく動いておるんじゃな。

 

目次

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は関羽の樊城の戦い時における、陸遜の動きを見てみようと思うんじゃ

そう言えばどこどこを攻めた、と地名を聞いても、それがどの辺りにあるのかって、あまりよく分かっていないですね。

こう言うのは地図を見ながらでないと、よく分からんだろうからな。 

うむ、それでは関羽が樊城を攻めている時の陸遜の侵攻ルートを見ていくとしよう。

人物紹介 

陸遜侵攻ルート(樊城の戦い)

さて、関羽が樊城を攻める頃、病気療養となった呂蒙に代わり、陸遜が陸口に着任したんじゃよ。

陸遜関羽を持ち上げ、自らはへりくだることで、関羽の警戒心を解くことに成功するんじゃが、その後の動きはまことに迅速であったんじゃよ。

分かり易く箇条書きにして、地図と共に上げるとしようかのう。

陸遜呂蒙は公安(宜都)南郡(江陵)まで兵を進めて、瞬く間にそこを落とした。

陸遜はそのまま進んで宜都に入り、宜都太守の職務に当たった。

劉備の任命した宜都太守の樊友は郡を棄てて逃亡した。

・李異と謝旌に命じ、蜀将の詹晏と陳鳳を攻め、詹晏を破り、陳鳳を生け捕りにした。

・房陵太守の鄧輔と南郷太守の郭睦とにも攻撃をかけ、これも大いに撃ち破った。

・秭帰の豪族の文布と鄧凱を、謝旌を指揮して撃ち破った。(『陸遜伝』)

陸遜侵攻ルート

樊城辺りを中心にぐるっと取り囲むように侵攻していたのですね。これはもしかして・・・。 

うむ、それでは、実際関羽徐晃に敗れた時の状況を見てみるとしようかのう。

呉の支配地域

ここで重要なのは、陸遜が房陵や南郷の攻略を行っている点がだが、分かるか?

う、うーん南郷が漢水側の拠点であることと関係があるんですよね。そう言えば孟達たちが近くにいたんでしたっけ。 

良い所に目を付けたな。劉封孟達は上庸郡、漢水上流に位置している。関羽は一度そちらに援軍要請を行っているからな。

なるほど、読めました。最悪関羽漢水を遡って、上庸へ逃げる可能性もあった。そこを陸遜は攻めて、まさに逃げ道を完全に封鎖した、と言うことですね。 

そう言うことだな、長江流域は当然として、漢水上流も抑えたことで、関羽の逃げ場を奪った形だな。

結果関羽は麦城に逃げ込むしかなくなった訳だ。

これは関羽にとってはかなり厳しいですね。それと共に陸遜の隙の無さが良くあらわれているように思います。

ここで関羽を絶対に逃がさない、と言う強い意志のようなものを感じるな。関羽も優秀な武将だが、さすがに相手が悪かったな。 

うむ、それでは関羽包囲網ができ、関羽を倒したところまでで、今回は一旦終わるとしようかのう。

 

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