※法華経は、非常に高度な教えですから、法華経を説く人は高度な人なのです。普通の人は、法華経など求めていません。法華経を求めているから、皆さんは法華経に巡り合うことができたのです。
人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経譬喩品第三』について 85
「若し比丘の 一切智の為に」
もし比丘の一切智のために
「四方に法を求めて 合掌し頂受(ちょうじゅ)し」
四方の法を求めて、合掌して法を頂戴して、
「但楽って 大乗経典を受持して」
ただ願って、大乗経典を受持して、
「乃至 余経の一偈をも受けざる有らん」
乃至、余経の一偈をも受けざる有らん。
「是の如きの人に 乃ち為に説くべし」
かくのごときの人に、乃ちために法を説くべし。「念仏は方便の教え、般若心経も方便の教えだ」ということがみんなわかって、「この上の法は無いのだろうか?」と求めている人のために、この法華経を説くのです。その人に法を説くと「ああ、わかりました。この上には法華経があったのですね」となるのです。
「人の至心(ししん)に 仏舎利を求むるが如く」
人の心に、仏舎利を求めるがごとく、人間は仏舎利を求めるのです。お釈迦様は「仏舎利を求めてはいけない」と言っているのに、人間は仏舎利を求めるのです。
「是の如く経を求め 得(え)已(おわ)って頂受せん」
かくのごとく経を求め得終わって頂戴して受持するのです。
「其の人復 余経を志求(しぐ)せず」
その人また、余経を求めません。このような人は余経を求めません。この法華経しか求めません。このような人のために法華経を説きなさい。
「亦未だ曾(かつ)て 外道の典籍(てんじゃく)を念ぜじ」
外道の典籍(てんじゃく)とは、バラモン教、ウパニシャッドなど、仏教以外の経典が沢山あります。そのようなものを求めてはいけません。
「仏教以外に面白い法があるのではないか?」と思って、インドのウパニシャッドなどを求めて、修行に入るのです。それではいけません。私は外道を一切信じません。
「是の如きの人に 乃ち為に説くべし」
かくのごとき人のために、乃ちこの法を説くのです。
「舎利弗に告ぐ 我是の相にして」
舎利弗に告ぐ、我この相にして、
「仏道を求むる者を説かんに 劫を窮(きわ)むとも尽きじ」
仏道を求める者に説く。それは、劫をきわめても尽きません。
「是の如き等の人は 則ち能く信解せん」
かくのごとき等の人は、即ちよく信解せん。
「汝当に為に 妙法華経を説くべし」
汝、まさにために、妙法蓮華経を説くべし。
わかったでしょう。法華経を説いてはいけない人、法華経を説いてあげなければいけない人、それを分別していくのです。創価学会のように功徳が欲しいために、何でもかんでも折伏して、「あのお婆さんを折伏しよう」などと思わなくてよいのです。創価学会は、挙句の果てには、ヤクザまで折伏しているのです。仏道修行とは、そのようなものではありません。
法華経は、非常に高度な教えですから、法華経を説く人は高度な人なのです。普通の人は、法華経など求めていません。法華経を求めているから、皆さんは法華経に巡り合うことができたのです。我々も衆生を見ていく場合、一生懸命に頑張っている人に法華経を教えてあげるのです。これで、『妙法蓮華経譬喩品第三』を終わります。
『妙法蓮華経譬喩品第三』
若し比丘の 一切智の為に
四方に法を求めて 合掌し頂受(ちょうじゅ)し
但楽って 大乗経典を受持して
乃至 余経の一偈をも受けざる有らん
是の如きの人に 乃ち為に説くべし
人の至心(ししん)に 仏舎利を求むるが如く
是の如く経を求め 得(え)已(おわ)って頂受せん
其の人復 余経を志求(しぐ)せず
亦未だ曾(かつ)て 外道の典籍(てんじゃく)を念ぜじ
是の如きの人に 乃ち為に説くべし
舎利弗に告ぐ 我是の相にして
仏道を求むる者を説かんに 劫を窮(きわ)むとも尽きじ
是の如き等の人は 則ち能く信解せん
汝当に為に 妙法華経を説くべし
※明日からは、『妙法蓮華経信解品第四』が始まります。ご期待ください!
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『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。
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