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938 ※仏界の風景

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経信解品第四』について 2

 

「菩薩の法の遊戯神通(ゆげじんつう)し、仏国土を浄め、衆生を成就するに於いて、心喜楽(きぎょう)せざりき。」(続き)

仏道修行をして、自分の境涯が変わってくると、相手を見る目が違ってくるのです。境涯が同じだと「私はこのように考えているのよ。あんたの考えが間違っているのよ!」「違うわよ。私の考えが正しいのよ!」とぶつかり合って、喧嘩になるのです。

眞子ちゃんと、小室圭が結婚すると、「私は皇族の一員になったのよ」と佳代が言うのです。眞子ちゃんの旦那の母親ですから、「私は皇族よ」となるのです。「あんたも私も皇族でしょう。なんであんたは税金をもらっているの? おかしいでしょう。私にもちょうだいよ!」となってくるのです。

それが娑婆世界です。娑婆世界はお互いに突っ張り合って、苦しめあうのです。ちょっと譲ればよいものを、一ミリも譲らないから、お互いにぶつかって苦しむのです。

娑婆世界とは、そのような世界です。そこに畜生がいるのです。「畜生は残害とて互に殺しあふ」(新池御書)です。畜生は、互いに食らい合うのです。戦国時代もそうです。「あの武将をぶっ殺して、領土を奪おうぜ」と言って、お互いに食らい合うのです。娑婆世界は、「やられてたまるか、コノヤロウ!」という畜生がひしめいているのです。

政治家も産業界も畜生界です。「助けよう」と思って仕事をしている人は誰もいません。みんな「己の勢力」です。自分の境涯が上がって、それらを見ると「くだらないことをやっているな。少し譲ってあげればいいだろう。ここに困っている人がいたら、助けてあげれば済む話だ。何故、そのように考えないのだろうか?」という見方は仏界の見方です。

ヤクザの親分になって突っ張っている人を見ると、極悪非道に思うかもしれませんが、実際はそうではありません。無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり」(観心本尊抄)という日蓮大聖人様の御書があります。

無顧の悪人が人を殺してきます。家に帰ると奥さんと子供がいます。それを見ると菩薩の顔になり「うわー、可愛いな」となるのです。自分の子供は可愛いのです。人殺しをしてきた悪人でもそうなるのです。無顧の悪人でも、家に帰ると菩薩界になるのです。そのようなことを言っているのです。

人間を見ていくと、本当の悪人などいないのです。たまに、悪人はいるけれども、「全て悪人」という人はいないのです。ただ、四悪道(地獄、餓鬼、畜生、修羅)が強いのです。すると、「この世界は十界の世界だ」とわかってきます。それが、この世界を仏国土に見ていくことです。仏国土というのは、四悪道がなくて、お釈迦様が座っていて、衆生が集まっている世界ではありません。

人間が生きている以上は、ぶつかり合って競争して、殺し合いの世界です。その世界を十界で見た時に、仏国土に見えてくるのです。それは、その人が仏界に入ったのです。仏界に入った人間から見ると「何をくだらないことを言っているのだ。そのくらいのことは、譲ってあげればいいだろう」と思うのです。すると、何もトラブルなどありません。

これは、三変土田(さんぺんどでん)の原理ともいいます。三回変化して、この世が仏国土にひっくり返ることです。
 「所以は何ん。世尊、我等をして三界を出でて、涅槃の証(さとり)を得せしめたまえり。」
  世尊が言ったように三界を出でて、涅槃の現証を得たいのです。
「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」(三三蔵祈雨事)という教えがあります。

仏法は、現証が大事です。どのような現証か?」というと、「仏界に入れるのか」という現証です。それは、自分の問題です。他の人が「仏になった」というのではありません。「自分の心が仏界を得たか、どうか?」というのが現証です。

例えば、「天から100万円降って来い!」と祈りをかけて、天から100万円降ってきたら、現証なのでしょうか? それは、現証ではありません。創価学会はそのように教えるのです。自分の心が仏界になったならば、現証です。それが大事なことです。

「お金が儲かった」「祈りがかなった」ということではありません。仏界に入れば、祈りなど自然に叶うのです。それを問題にして、修行をしていかなければいけません。

創価学会員は、「なんぎょうほうれんげっきょう~とお題目を唱えて歩いていたら、俺の頬っぺたに1万円が張り付いてきた。これが現証だ!」と言うのです。バカなことを言っているものではありません! 欲たかりの現証などありません。自分の心が仏界になったならば、それが現証です。(3に続く)

 

 

『妙法蓮華経信解品第四』

菩薩の法の遊戯神通(ゆげじんつう)し、仏国土を浄め、衆生を成就するに於いて、心喜楽(きぎょう)せざりき。(続き)

所以は何ん。世尊、我等をして三界を出でて、涅槃の証(さとり)を得せしめたまえり。

 

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