人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経授記品第六』について 14 | 中杉弘の人間の探求

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428 ※仏道修行により、自分の身の回りを光輝かせて、仏国土にしていくことが大事です。仏国土の朝焼けは美しい。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経授記品第六』について 14


 「劫を有宝(うほう)と名づけ、国を宝生(ほうじょう)と名づけん。」
 劫を有宝(うほう)と名付け、国を宝生と名付けたのです。
 「其の土(ど)平正(びょうじょう)にして、頗黎(はり)を地と為し、宝樹(ほうじゅ)荘厳(しょうごん)して、諸の丘坑(くきょう)、沙礫(しゃりやく)、荊棘(きょうこく)、便利の穢(けがれ)無く、」
 その土地は、平らかで頗黎(水晶)を地面となして、宝樹が荘厳して、諸々の穴、砂利、棘の土地などの、穢れは無く、
 「宝華(ほうけ)地(じ)に覆(おお)い、周遍(しゅへん)して清浄ならん。」
 宝と華が地面を覆い、周辺は清浄です。仏のいる所は黄金に囲まれているのです。仏は「金色の仏身」です。成仏すると顔が金色になってしまうのです。本当は、そんなことはありえません。「黄金の仏身」とは、仏様の内面を表しているのです。

例えば、凡夫が世の中を見ても、何もわかりません。そこで、仏道修行に励むと、その人の内面が黄金に変わってしまうのです。ここが大事です。それがわからないから、大仏を造り、金ぴかに塗っているのです。「大仏を拝むなど、如何に邪道か」、ということがわかります。

凡夫の私達は、どんな仕事でもよいのです。仕事を通して仏道修行をしていくならば、その人が黄金の仏になってしまうのです。その人がいる所が、金、銀、瑪瑙、瑪瑙に囲まれた宝樹になってしまうのです。これを無上宝聚不求自得(むじょうほうじゅふぐじとく)と言うのです。

これは前から言っている通り、法華経の文字は金色の仏身です。日蓮大聖人様は、法華経の一つ一つの文字が金色の仏身だと言われているのです。

「此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、肉眼の者は文字と見る、二乗は虚空と見る、菩薩は無量の法門と見る、仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり即持仏身とは是なり」(曾谷入道殿御返事)

法華経は、金色の仏様が並んでいるのです。そのように見えてくるのです。二乗は法華経を見て虚空と見ます。二乗とは、声聞、縁覚です。菩薩界の人が見ると無量の法門と見えます。仏が見ると、金色の仏身に見えるのです。同じ人間ですが、見ている境涯により見ている世界が変わるのです。

自分が仏と変われば、世界は変わるのです。自分が変わらないから、いつまで経っても同じ境涯で、同じ風景しか見えないのです。そのように思って真剣に法華経に取り組んでいくと、娑婆世界から、方便土、実報土に代わり、寂光土に変わっていくのです。

世の中が変わっていくのです。実報土に入った人は、何を見ても楽しいのです。地獄界にいる人は、何を見ても苦しいのです。「今日は生活保護の自給日だな」と思って、もらっても「足りないな」と思うと地獄界です。

すると感謝の気持ちが消えてしまうのです。「足りない」という気持ちは不満です。不満は地獄界です。

生活保護を受けて、ちゃんとやりくりをしている人もいるのです。そのような人から見ると「生活保護を受けて有難いな」と思うのです。感謝すると、自分の周りが変わるのです。「今は病気になって生活保護を受けているけれども、やがては働いて国家に恩返しをします」と思えば、見方が全然違います。それが大事です。

仏道修行をすると自分が変わるのです。それを「境涯の学び」というのです。互いに食らい合うのを畜生界というのです。「コノヤロウ、食ってやるぞ!」というのが動物の世界です。野生動物が出会うとお互いに「俺のほうが強いぞ、ウォー」という生界です。お互いに殺し合い、負けると食われてしまう世界です。それを畜生界と言います。

人間で言うと、ヤクザは畜生界です。相手が少しでも弱いと「野郎の縄張りを盗ってしまえ、その縄張りは俺がもらった!」となるのです。ヤクザは修羅界、畜生界の世界です。そんなことを人間界でやっていれば、次は動物界に生まれるのです。

「畜生は残害とて互に殺しあふ」(新池御書)このような世界に生まれてしまうのです。100%、間違いなくそのような世界に生まれるのです。

仏道修行により、自分の身の回りを光輝かせて、仏国土にしていくことが大事です。その姿勢がないと自分の境涯は変わりません。自分の周りに神様も仏様もいるのですから、見の周りをキレイにしてご供養をしていくのです。それが当たり前のことです。その人に神が働くのです。汚い格好をして、自分が豚小屋のような部屋に住んでいたら神も仏も来てくれません。
 「其の土の人民、皆宝臺(ほうだい)、珍妙(ちんみょう)の楼閣(ろうかく)に処せん。」
 その土の人民は、皆宝の台に珍しい仏塔が建っています。楼閣(ろうかく)とは、重層の建築物を言います。高楼のこと。 塔と類義であるが、塔は本来仏塔を指します。

仏様は楼閣の中にいるのですが、楼閣は金や珊瑚や瑪瑙で出来ているのです。とてつもないお宝に囲まれた楼閣です。木造で出来た楼閣ではありません。西山本願寺にも楼閣がありますが、傾いた誰も住んでいない楼閣です。仏様が住むのですから、ピカピカに磨いて、素晴らしい楼閣を建てなければいけません。(15に続く)

 

 

『妙法蓮華経授記品第六』

劫を有宝(うほう)と名づけ、国を宝生(ほうじょう)と名づけん。

其の土(ど)平正(びょうじょう)にして、頗黎(はり)を地と為し、宝樹(ほうじゅ)荘厳(しょうごん)して、諸の丘坑(くきょう)、沙礫(しゃりやく)、荊棘(きょうこく)、便利の穢(けがれ)無く、

宝華(ほうけ)地(じ)に覆(おお)い、周遍(しゅへん)して清浄ならん。
其の土の人民、皆宝臺(ほうだい)、珍妙(ちんみょう)の楼閣(ろうかく)に処せん。

 

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