人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経提婆達多品第十二』について 1 | 中杉弘の人間の探求

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332 ※崖から石を落としたり、象に酒を飲ませて暴れさせて、釈迦を殺そうとしたのです。提婆達多は、大悪人です。

 

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経提婆達多品第十二』について 1

 

 今日から、いよいよ『妙法蓮華経提婆達多品第十二』に入ります。『妙法蓮華経提婆達多品第十二』から、『妙法蓮華経如来寿量品第十六』に入ってくると、益々、信仰の神髄に入ってくるので、非常に面白くなってきます。

法華経の講義は、二十八品あるわけですが、その中で前半十四品を迹門と言います。後半の十四品を本門といいます。「迹門と本門は、どちらが大事なのか?」というと、本門です。

 後半の本門に入ってくると、法華経はもっと面白くなってきます。今はまだ、迹門の段階です。本門の『妙法蓮華経如来寿量品第十六』の教えは、特に大事です。それは、前座のようなものです。

 『妙法蓮華経提婆達多品第十二』は、提婆達多について書かれた章です。提婆達多とは、お釈迦様に散々仇を成した人物です。お釈迦様が説法をしていると、提婆達多がやってきて、「おい、あの女の腹を見ろ。あの腹の中には、釈尊の子供がいるのだ!」と貶めたのです。

 そのようにウソを言って、人々がお釈迦様を信じられないようにしたのです。釈尊を殺そうともしたのです。崖から石を落としたり、象に酒を飲ませて暴れさせて、釈迦を殺そうとしたのです。提婆達多は、大悪人です。

 最期は大地が裂けて、生きながら大地の割れ目に吸い込まれて死んだのです。『妙法蓮華経提婆達多品第十二』の中で、お釈迦様は、「提婆達多は、本来は仏である」と言われたのです。「えっ、どうして仏を苛める大悪人が、仏なのでしょうか?」と疑問に思うでしょう。

 でも、提婆達多は、仏なのです。「仏が提婆達多に生まれて、釈尊に敵対して、大罰を受けて地獄へ逝く」という話が『妙法蓮華経提婆達多品第十二』です。

 提婆達多は、「釈尊の仏法が正しい」と証明するために、生まれてきた仏だったのです。凄い見方です。我々も同じです。法華経を説くと、悪口罵詈されるのです。「君は、法華経を信じているから付き合わないよ」「あいつが来たら、会わないようにしよう」と言われて、仲間外れにされたりするのです。そうなるのです。

 僕は、すでにそうなっているのです。「あいつは、上から目線だから、呼ばないようにしよう」と言われて、同窓会には、呼ばれなくなってしまうのです。それと同じことです。

 日蓮大聖人様は、『御義口伝』で以下の通り言われています。

提婆達多品八箇の大事

第一 提婆達多の事
「第一 提婆達多の事 文句の八に云く本地は清凉にして迹に天熱を示すと。
御義口伝に云く提婆とは本地は文殊なり、本地清凉と云うなり迹には提婆と云うなり天熱を示す是なり清凉は水なり此れは生死即涅槃なり天熱は火なり是は煩悩即菩提なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るに煩悩即菩提生死即涅槃なり、提婆は妙法蓮華経の別名なり過去の時に阿私仙人なり阿私仙人とは妙法の異名なり阿とは無の義なり私無きの法とは妙法なり、文句の八に云く無私法を以て衆生に灑ぐと云えり阿私仙人とは法界三千の別名なり故に私無きなり一念三千之を思う可し云云。」

 『御義口伝』には、「提婆達多品八個の大事」が書いてあります。「提婆達多とは何者か?」というと、「第一 提婆達多の事 文句の八に云く本地は清凉にして迹に天熱を示すと。と書かれています。

 提婆達多の本地は仏です。「御義口伝に云く提婆とは本地は文殊なり」と書かれています。提婆達多の本地は、文殊菩薩です。

 「本地清凉と云うなり迹には提婆と云うなり天熱を示す是なり」と言われています。「天熱(てんねつ)」とは、「命」ということです。

 「清凉」とは水であり、これは生死即涅槃なり。提婆達多は、「天熱」という名前で書かれる場合があります。

 「天熱」というのですから、この世に生まれてくる生命が持っている熱量という意味です。反対に「清凉」とは、浄くて冷たいことです。これは、どちらかというと死を表します。「清凉は水なり此れは生死即涅槃なり」と書かれています。

この両方の意味をもって「天熱」という名前を『妙法蓮華経提婆達多品第十二』では、示しているのです。

 もう一つ言うと、これは生死即涅槃です。提婆達多という名前そのものが、生死即涅槃を表しているのです。生死は生まれて死ぬことです。涅槃とは生まれないことです。両方共に入っているのです。言葉を変えていうと、「清涼」と言うのです。

 そして、「天熱は火なり是は煩悩即菩提なり」と言われています。先ほどは、生死即涅槃です。天熱は、火であるから、煩悩即菩提を表しているのです。煩悩即菩提とは、煩悩があるから、菩提があるのです。悩みがなければ菩提はありません。煩悩がクルッと変わって、悟りになった時に煩悩即菩提です。

 生死即涅槃は、「生まれて死ぬ」ということです。その生死が即涅槃です。煩悩は、悩みです。それが即菩提です。この違いをわからなければいけません。生死は、「苦しみ」とも言うのです。

 人生は、生死から成り立っているのです。「私は死なないようにしたい」というのも悩みです。生死即涅槃です。それは、煩悩即菩提と同じことなのです。煩悩は悩みです。悩みが悟りです。この深さがわかるでしょうか? 悩みが悟りなのです。(2に続く)

 

 

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