人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経妙音菩薩品第二十四』につて 11 | 中杉弘の人間の探求

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人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経妙音菩薩品第二十四』について 11


 「若し応(まさ)に声聞の形を以って得度すべき者には、声聞の形を現じて為に法を説き、応に辟支仏の形を以って得度すべき者には、辟支仏の形を現じて為に法を説き、応に菩薩の形を以って得度すべき者には、菩薩の形を現じて為に法を説き、応に仏の形を以って得度すべき者には、即ち仏の形を現じて為に法を説く。」
 若し応(まさ)に声聞の形を以って得度すべき者には、声聞の形を現じて為に法を説き、応に辟支仏の形を以って得度すべき者には、辟支仏の形を現じて為に法を説き、応に菩薩の形を以って得度すべき者には、菩薩の形を現じて為に法を説き、応に仏の形を以って得度すべき者には、即ち仏の形を現じて為に法を説くのです。

声聞、縁覚、菩薩、仏界ですから、声聞も聖なる衆生に入っているのです。声聞でも、何も修行していない人よりもよいのです。地獄界の衆生とは、全然違います。声聞のために身を現じて、この法を説いてあげるのです。

辟支仏は、今でもいます。ガンジス川に入って修行をしたり、断食したりする修行者がいるのです。それらの修行者は、法がわかっても誰にも説きません。単己の菩薩(たんごのぼさつ)ともいいます。「もう私は悟りました。私は聖者です」と言うのですが、誰にも法は説きません。

私が修行して法がわかったのだから、わからない人間に法を説いてもわからないです。だから、「私は誰にも法は説きません」と言うのです。これが単己の菩薩であり、辟支仏です。

辟支仏は、仏の一種ですが人に法は説きません。小さい境涯の仏です。それを救うために自分もガンジス川に入り、断食行をして、同じことをやらないと、その人たちは救えません。

断食をやっている修行者をガンジス川の反対岸から眺めていて、「おーい、お前たち、そんなことをやっても救われないぞ。仏教は法華経だよ」と言っても、「何を言っているのだ、うるさい奴だな」くらいにしか思いません。修行者は、苦行をして自己満足をしているのですから、人の話を聞きません。

我々の日常生活においても同じことです。相手のことがわからないと、折伏はできません。相手の心がわからないと折伏などできません。相手の心がわかるということは、相手の話を親身になって聞いてあげるのです。

すると、同じ境涯に落ちているように見えるけれども、全然違うのです。こちらは、仏界の法をもっているのです。

法を教えるためには、相手と同じ境涯まで身を落として、「私も労働者ですよ。労働者は大変ですね」というように、相手と同じ立場に立って、法華経を広めていかないと、相手を救うことはできません。

高僧で高い場所にいて、すましていて、「えっへん、これから説法をするぞ。みんな集まれ!」などというものではありません。最初の修行は、同じ境涯に身を落として、説法をするのです。身は落としていても、心は落ちていません。

 「是の如く種々に、応に度すべき所の者に随って、為に形を現ず。」
 
是の如く種々に、応に姿形は、みんなと同じように落として、衆生を救うのです。
 「乃至応に、滅度を以って得度すべき者には、滅度を示現(じげ)す。」
 乃至応に、滅度を以って得度すべき者には、滅度を示現(じげ)す。

私が死んだ後に、修行するという者がいれば、私は今すぐに滅度します。仏様は「私は今日の12時に滅度します」と言ったのです。

「お釈迦様、滅度するのですか?」と弟子が聞くと、「そうだよ、私が滅度しないと、君たちはわからないでしょう」と言うのです。仏様が永遠に弟子たちの前にいて、永遠に法を説いてくださると思うと、人間は怠け心があるから、「いつでも仏様に聞ける」という気持ちになってしまうのです。

仏様が「滅度する」と言ってしまったら、もう法は聞くことはできません。だから、真剣になって聞くのです。

お釈迦様は、涅槃経の中でそのように言われたのです。弟子たちが泣いて、「滅度しないでください。我々は、お釈迦様が滅度された後に、どうやって修行をしたらよいのでしょうか?」と言ったのです。

すると、お釈迦様は、「自灯明だよ」と言われたのです。自ら明かりを灯して進むのです。それで気が付くでしょう。南無妙法蓮華経と、自灯明は同じです。我々が自ら明かりを灯して進むということは、南無妙法蓮華経に照らして、自分の人生を見ていくのです。(12に続く)

 

 

『妙法蓮華経妙音菩薩品第二十四』

若し応(まさ)に声聞の形を以って得度すべき者には、声聞の形を現じて為に法を説き、応に辟支仏の形を以って得度すべき者には、辟支仏の形を現じて為に法を説き、応に菩薩の形を以って得度すべき者には、菩薩の形を現じて為に法を説き、応に仏の形を以って得度すべき者には、即ち仏の形を現じて為に法を説く。
是の如く種々に、応に度すべき所の者に随って、為に形を現ず。
乃至応に、滅度を以って得度すべき者には、滅度を示現(じげ)す。

 

 

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