人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経妙音菩薩品第二十四』について 13 | 中杉弘の人間の探求

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人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経妙音菩薩品第二十四』について 13

 

「世尊、是の菩薩、何なる三昧に住して、能く是の如く在所に変現して衆生を度脱する。」

仏の姿には、三つあります。それを法報応(ほっぽうおう)の三身といいます。三身とは、報身(ほうしん)如来、法身(ほっしん)如来、応身(おうじん)如来です。

法身如来とは、仏が覚った真実・真理です。

報身如来とは、最高の覚りの智慧をはじめ、仏と成った報いとして得た種々の優れた特性のことです。

応身如来とは、人々を苦悩から救うためにそれぞれに応じて現実に現した姿のことです。

例えば、「貴方は仏像を何のために造っているのですか?」と聞くと、「はい、私は応身如来様をつくろうとしています」と答えるのです。応身如来とは、仏様の姿形のことです。

経典を、論、釈で解釈しようと思っている人は、仏の智慧を勉強しているのです。それは、報身如来を勉強しているのです。

それから、仏のもっている生命力が法身如来です。この三つを法報応の三身といいます。命そのものが法身如来です。仏様の智慧は、報身如来です。仏様は姿をもっています。これを応身如来といいます。

貴方の前に出てきた仏様は、どんな智慧をもっているのでしょうか? お姿はどんな姿でしょうか? 仏様は、三十二相八十種好の立派な応身如来の姿をしています。このように見ていくのです。

仏というものは、法報応の三身如来です。仏を三つに分けてみていくのです。智慧、命そのもの、お姿に分けていくのです。これが整っているのです。バラバラの仏はあり得ません。

姿は仏だけれども、やっていることは下卑ています。これは、「ニセ仏」というのです。姿が仏様ならば、衆生を救おうとする智慧がいつも働いていらっしゃるのです。これは報身如来です。

「何のためにこのお姿で、この地上に出てきたのですか?」と聞くと、それが応身如来です。仏様の命そのものが法身如来です。仏はこの三つがそろっているのです。

この三つが整っていない人を「詐欺師」というのです。姿ばかり仏の真似をして、中身が何もありません。今の坊主がそうです。袈裟を着て、衣を着ていますが、中身は全然整っていません。

坊主は、衆生を救済する仏の法を求めていません。経典は何が書かれているのは、サッパリわからないので、お経だけを唱えているのです。

「爾時世尊 従三昧 安詳而起~」、「ポクポクポク」と木魚を叩いて、お経を唱えているのです。坊主の姿形は立派ですが、その中身は空っぽです。

仏道修行者は、仏のような立派な姿をつくらなければいけません。そうしなければ、民衆は仏様の説法を聞こうとは思いません。

仏の姿、智慧、命そのものの働きの三つである、法報応の三身が整って、初めて立派な仏です。また、これは修行の目的でもあります。

仏像ばかり拝んで、ペコペコしていたら、応身如来を拝んでいるのです。応身如来だけを拝んだら、仏教を悟ることはできません。「仏様の智慧を拝みたいから、智慧の姿を出してくださいませんか?」というのは、報身如来です。

「仏様はここにいついらして、またどこへいくのですか?」と見ていくと、仏の永遠の生命が見えてくるのです。仏の生命は、法身如来です。この三つを仏というのです。

仏は、法報応の三身如来ですから、神通力が身についてくるのです。「生命は永遠だ」ということを知らない人には、神通力などでません。「滅不滅の滅」です。我らが滅度することは、本物の滅度ではありません。「滅不滅」としての滅なのです。それがわかった人は、永遠の生命を見ることができるのです。(14に続く)

 

 

『妙法蓮華経妙音菩薩品第二十四』

世尊、是の菩薩、何なる三昧に住して、能く是の如く在所に変現して衆生を度脱する。

 

 

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