親孝行、と言う言葉があるが、そもそも親孝行とは一体なんなのか。親を満足させてくれる子供が親孝行なのか、それとも個人としての人生を謳歌している子供が親孝行なのか、おそらくほとんどの人は、親に心配をかけず、社会にうまく適応し、願わくば親が褒められるような成果を出して、自分たちを幸せにしてくれるのが子供の役割だと捉えているのではないだろうか。

 

      ヤマザキマリ 『ムスコ物語』より

 

 

 

 

親になって思うことは、子どもは親の思うようにはならないということ。

『親の思うように』ということは親は多かれ少なかれ何かを期待しているのだろう。

子どもはこんなふうに育ってほしいと。

 

 

それはたとえば、良い学校に行って安定した仕事に就いて結婚して子どもを持って、というようなはずれない一本の道、それが人としての幸せだと押し付けるような、そういう圧のあるものだけでなく、健康的な生活をしてほしいとか、何かあれば相談してほしいとか、そんなことであっても。

 

 

それは子ども自身のしあわせを願っているのだが、同時にそのように子どもが育っていることが親にとっての幸せであるからなのだろう。

 

 

 

ヤマザキマリさんはこうも書いている。

 

自分がこの世に生まれてきて良かったかどうかは誰かに示してもらうのではなく、何より自分自身でそれを感じるべきである。

 

 

 

キビシい言葉だなと思う。

自分自身だけで「生まれてきて良かった」と感じることは、とても難しいと思う。

 

 

ヤマザキマリさんの息子さんデルスくんは、マリさんの人生の選択に振り回されて世界中を転々とし、逞しくしなやかに成長するが、母親のマリさんが気付いていないところで傷ついたり動揺したりしている。

 

 

そしてマリさんがそんなものは特に必要ないと思っている、マリさんの母や継父の両親へ連絡して優しい言葉をかけていたりという「孝行」もちゃんとしている。それを必要ないことだと思っていない。

 

 

 

子どもは子ども、親は親、マリさんのようなそういう徹底した割り切りもすばらしいし、デルスの継父のようなイタリア人のいくつになっても濃厚な親子関係も、必然があるのだと思う。

 

 

 

子どもは親が与えたものだけでは育たない。

栄養はどこから吸収できるかわからない。

それを少し離れて木の陰に立って見ている、その精神的な目を子どもは感じ取るだろう。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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