【読書】カルロ・ギンズブルグの『ミクロヒストリア』なのかフーコーの『知の考古学』なのか

2021年9月28日 0 投稿者: goldeneuglena

最近読み進めている本にカルロ・ギンズブルグの『ミクロヒストリア』という本があります。

日本で買ったハードカバーの本をあらかじめ自炊PDF化させていた貴重な私の日本語活字です…。

『ミクロヒストリア』は1つの論考ではなく、各章それぞれが1つのテーマを論じているエッセー集です。

今回はこの本の中の「私たちの言葉と彼らの言葉」という章を読み、納得したり唸ったりしたりしてました。

で、これとはまた別の本で、私はミシェル・フーコーの『知の考古学』が好きで、実際できるかどうかは別として、色々と参考にしたいなぁと思っているんですね。

でもフーコーとギンズブルグ(というかそこに組み込まれているマルク・ブロックとか?)は、結構ちがうんですよね。

ちがうんだけど、両方ともいいよね~と思ってしまった私としては、方法論的にどう共存できるんだろうか?と気になったので、もぞもぞと整理してみたいんですが。

先に結論を書くと、私的にはギンズブルグの顕微鏡をのぞくような姿勢は、各史料に対して維持したい人文・社会学の基本的で且つ重要な姿勢で、方法論的には私はフーコーの「考古学」が良いなぁ、って感じですかね。

あ、この記事は私が私のために書いている記事なので、多分あんまり役にはたたないよ!

本当に理解したい人は専門家に聞くなり大学で講義受けるなりした方が良いよ、間違ってる箇所も全然あると思うし、この記事を鵜呑みにしないでね!

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「私たちの言葉と彼らの言葉」、カルロ・ギンズブルグ『ミクロヒストリア』より

この章で一貫した主張は、章のタイトルにある通り、私たちが用いる言葉と、史料の中の、あるいは外国の、またはある文化の中の、彼らの言葉の間には距離があるのだ(異なる)ということ。

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史料における言葉の変化

このエッセーでギンズブルグは、マルク・ブロックを引用しつつ、史料において歴史家が対峙する語の曖昧さを喚起させます。

例えば「自由」や「歴史」というような1つのある言葉であっても、人々の暮らしぶりの変化や時代の移り変わりによってこの言葉が表現する現実(現象・モノ)自体が変化してしまい、言葉(語彙)と内容の関係が曖昧になるということです(p.56-57)。

そして、歴史家が扱う素材または証拠とは、このような曖昧な言葉であるが、このような曖昧な語をそのままオウム返しに使うよりも、新しい厳密な用語をつくり用いた方が良いかもしれない。とはいえ、専門家が精査していると想定される化学であっても、クロード・ベルナールの『実験医学序説』(1865)で言及されているように、言葉とその意味というのは変化したり、あるいは変化せずに存在したりするものである(p.59)。

以上のような、言葉が同じであっても、それが表現する内容が時代ごとに変化するいう話題は、全く身に覚えのある現象なのです。私が関心を持ている分野でも、言葉が同じなのにどうも対象物が違うような…?という事例があるので、この箇所は読みつつ共感しかないです。

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アナロジーがあるという思い込み

一方で、言葉自体が全く同じではなくとも、内容がほぼ同じ、または類似すると考えられている語の中にも、実際には歴史的に見て異なるものであるという語も確認できる。

そのためには、今まで思い込み、本文中で言う「偽りのアナロジー」に惑わされてはならない。例えば、長年同じ身分を表すと思われてきたイギリスの「villainage」とフランスの「sevage」のように。

比較史とは、類似点の探求ではなく、相違点を際立たせること。p.64

「私たちの言葉と彼らの言葉」

つまり、類似する内容と思われている複数の語であっても、異なる文脈、異なる内容かもしれないということだ。私が関心を持っている分野にも、AはBに内包されるというか類似というか、深い議論なしにそう認識されている用語(というか概念?)があるんだけど、それも本当にそうなのかも疑った方が良いのかもしれない。

それらの用語の移民は時と共に一見した限りではそうとわからない様々な変化をこうむってきた。それらは「明らかに無意識的な」一連の移行を行っているのであって、その移行の過程は言葉ではなく実態に即して査定されなければならない。

p.65
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イーミックとエティック、「ネイティヴの観点」と非ネイティヴ

言葉の問題は、まるで史料の頁1枚に顔を近づけさらに紙繊維の間を覗き込むように、書かれた彼らとそれを読む私たち次元から、言葉を発し語る者とそれを聞き書き残す者の次元へと近づく。

わたしたちの問いとわたしたちが証拠から獲得する答えとのあいだに存在する緊張関係は、証拠がわたしたちの当初の問いを修正することがあるにしても、そのまま生かし続けておかなければならないのである。わたしたちの言葉と彼らの言葉のあいだに存在する相違が注意深く保たれているなら、それは私たちがが二つの罠に陥るのを防止してくれるだろう。感情移入と腹話術という罠がそれである。

p.76

つまり、史料を読むのは今の私であり、そこで語られている事は過去のその時点で語られたこと。

今の私が何か得て、書かれたことに共感したり感情移入したりしたとしても、それを過去のその時点の人々による感情であると混同してはいけない、ということでしょう。それは捏造、引用文中における「腹話術」です。

文化人類学の視点とアナロジーを示しながら、ネイティブが語る言葉とそれを受け取る非ネイティブの言葉については以下のようにあります。

それにもかかわらず、アウトサイドとインサイドのあいだには致命的な不均斉が残る。わたしたちの科学へのわたしたちの暫定的でありながらも責任あるコミットメントは、わたしたちが外国産の文化についても語るものには及ぶが、インサイダーたちがそれの内部で語るものにまでは及ばないのである。

p.77

ここすごい大事ですよね。そもそも、外側にいる人間にはわからないという、忘れがちだけどすごく大事な大原則。

ある文化圏の外側にいる非ネイティブがいくら史料を読もうとも、何かの文章を翻訳しようとも、その文化圏の内側にいるネイティブが使用し語る情報とは大なり小なりの隔絶があっていうことなんですが、これ文化人類学とか歴史学とかの学問だけではなくて、日常的な物事にも全然言えると思うんですよ。

ギンズブルグの「私たちの言葉と彼らの言葉」では、歴史家の心構えとして基本的で且つ重要なことが書かれていると言えるでしょう。

今の私、つまり現在であり、非ネイティヴな私と、過去でありまたは外国でありネイティヴであり、他者である人々(文化)や史料と距離を保つのを忘れるべからず。そして書き残された史料はだ家らに書かれたものであるので、そこには権力構造があることも忘れてはいけない。

史料における人間の存在と、それを読む人間の存在をつぶさに確認し意識するような態度ですが、この態度とフーコーの『知の考古学』の方法論は両立可能なんでしょうか。

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フーコー『知の考古学』を読んでみる。

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方法論

とにかく難しい本なんですが、世の中の賢い人々が解説してくれていることを雑にまとめると、Google Booksとか、Gallicaとか、ああいうデジタル化された文書資料がある場所で、分野を横断してローラー作戦的に調査しようぜ、ってことだと私は理解してます。

それはすなわち、作品や作者やテーマの統一性とは異なる諸々の大きな統一性に従って、言説に区分を設けるという問題である。p.255

という箇所なんですが、パッとすぐにはわからないですよねぇ。困った時の解説、ってことでネットで見つけた以下の引用を見てみるとですね。

しかし、これに対してフーコーの「考古学」とは、こうした図書館の分類体系をあえて無視して、あちこちの書棚に収められたさまざまな文献にランダムアクセスしていくような試みと表現することができる。たとえば「狂気」という存在が、はたしてある時代においてどのようにとらえられていたのかを明らかにするには、「精神医学」の棚にアクセスするだけではなく、その時代の文学作品や哲学や法律書や解剖記録や裁判記録や新聞記事といったあまたある言説のなかから、該当するような表現や言葉(同書の言葉を使えば「言表(エノンセ)」)を抜き出していく。

https://artscape.jp/study/rekishi/1211180_2746.html

1つのテーマや分野や作者や作品を超えた統一性がある書かれた「モニュメント」を、一つの分野に限定されずに、まるで両手で砂を掬うように「考古学」的な証拠を集める感じ。そうすることで、ある現象(例えば「狂気」)についての認識を浮き彫りにする感じ。

今でこそインターネットで単語を横断検索できるのですが、ネット(やデジタルアーカイブとか)がなかったフーコーの時代は、図書館で関心がある分野の棚に行き、本を開くという行動様式だたはずです。「考古学」は我々には親しみある方法かもしれませんね。

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「考古学」の対象

印象のみでフワッと思ったのは、フーコーが対象とするものはギンズブルグよりもっと広そう?というか、問題としているものが違うというか…例えば以下の引用。

考古学が見出そうとするのは、諸言語を、それに先行するものやそれを取り巻くものやそれに後続するものに緩やかに結びつける連続的でごくわずかな推移ではない

ギンズブルグは上述したように、史料1つに顔を近づけていく感じなので、やっぱり「ごくわずかな推移ではない」というフーコーの方がパースペクティブが広い感じしますね。扱う史料の範囲も後述するように横断的だし。

あと上述のギンズブルグはとにかく人間が中心というか、関心の対象ですよね。言葉を発する人、それを書き残した人、そしてそれを読んでいる現在の私が問題なのです。対してフーコーは、人間をすべての契機としない、人間が関係していないところで人間の言語などが制御(支配?)されているので、そもそもの姿勢が異なると言えるでしょう。

また、以下の引用。

諸言説をその種別性において明らかに示すことであり、諸言説によって実現される諸規則の作用が他のいかなる作用にも還元不可能であるのはどうしてなのかを示すことであり、諸言説を市日外的な境界線に沿って辿ることで諸言説をよりよく際立たせようとすることである。

p.261

この引用箇所、ぶっちゃけ何言ってるかわからないので訳者解説を見てみると、以下。

ところで、『知の考古学』において、思考の歴史をそれがとらわれとなっている連続性のテーマから解放すべく、フーコーがまず試みるのは、まさしく、あらかじめ無反省的に認められてしまっている諸々の科学統一性を問い直すことである。医学「なるもの」、文法「なるもの」、政治経済学「なるもの」などに見いだされる統一性をあるがままのかたちで受け入れる代わりに、彼は語られたこととそのもののレヴェルにおいてしした統一性がどのようにして形成されるのかを探求しようとする。p.416、訳者解説。

ここからわかるように、フーコーの問題は知という権威なんですね。こうやって、「~学」と呼ばれる知的権威を対象とする、また特定の分野の知から脱して多くの分野を横断しながら書かれたものを「モニュメント」としてフラットに扱うことで、知という権力それ自体を相対化しようとしているってことかな。かっこいいね。

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おわりにーカウンターカルチャーとして西洋を観察する?

ギンズブルグの『ミクロヒストリア』も、フーコーの『知の考古学』も、どちらも頷いて読む箇所があって、でも毛色が違う両者をどう私の中で処理すべきか…と思っており、整理のために記事を書いてみました。

冒頭でもお伝えした通り、私は歴史学や人文学などの専門家ではなので、もしちゃんと理解したいならしかるべき人に尋ねてみるとか、解説本を読んでみるとかした方が良いです。私のこの記事を鵜呑みにしないでね。

2冊の本を読みつつ思いいたったことをつらつら。

私が欧州の文化(特に古い建物など)に興味があって調べているのは、ある意味で反植民地主義というか、支配/支配の構図に対するカウンターカルチャーというか、そういう姿勢であるのかも?とも思うんですよ。

欧州の外というか、かつて植民地にされた国や地域では、西欧人は文化人類学などの学術的関心という旗印をもって、彼らなりの方法彼らなりの視点で、現地の人や文化を他者として観察の対象としてきでしょう。アジアはそれ以来「見られて」きたのだけれど※、今度は私というアジア人が、彼らを対象化する。

※とはいえ、日本は常に被支配側という訳ではない。20世紀初頭から日本は東・東南アジア諸国に対する支配者であったことは忘れてはならない。支配/被支配またはマジョリティ/マイノリティの構造は、フィールドを変えると各所に存在するよね。

私今こういう視点を持つに至った要因って、確実に日本を出たからだと思うんです。

日本人という絶対的な自己認識じゃなくて、西洋を中心とした社会における東アジア人という相対化された自己として認識が変わって、なんか色々あって悔しかったりして、それでも興味の対象としてヨーロッパを眺めている自分に気付いた感じ。

今、日本の大学って西洋系の学問の勢いがなくなってきてるとよく言われてると思うんですけど、でも、上記の姿勢を持つという意味でも、欧米を学問の対象にするって大事なんじゃないかなぁ…と思います。

出は最後に、ギンズブルグを引用して終わりにしましょう。

それでもなお、イーミックとエティックの区別について意識するようになれば、それは歴史家たちがエスノセントリック〔自民族中心主義的〕バイアスから身を解き放つ手助けになるかもしれないのである。これはグローバリゼーションによって形作られている世界にあってますます喫緊のものとなりつつある課題なのだ。p.80

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