今回は、栃木県さくら市の城跡です。

 

この地域は、喜連川と呼ばれ、足利家の子孫喜連川藩が、10万石格で支配した地域です。実際は、5千石?だっけ?1万石だっけ?大大名としての格式で待遇されました。

 

喜連川藩主は、格式ばかり高く、実収が伴わないために財政難に悩まされ、参勤交代の道すがら、城下町に立ち寄る大名家の落とす金銭、で、財政を成り立たせていました。

 

同じく、財政難の伊達家が、たかられてはたまらんと、喜連川城下町を素通りすると、江戸城内で、伊達候をつかまえ、嫌みを言ったという逸話もあります。

 

倉ケ崎城跡です。ふもとの駐車場から見上げたところ。

 

見下ろしたところ。

 

訪れたのは、震災の何年か後です。正確には忘れました。

 

ふもとから登ってきたところ。ベンチなどが置かれ、整備されています。正面に展望台があります。

 

眼下の眺望。のどかな風景で、空が青いです。

 

当時は、展望台が老朽化、また震災の影響もあったのか、立ち入り禁止でした。

 

堀切。

 

同じ堀切かな。

 

事前に、展望台の方面には立ち入れないのはわかっていましたので。

 

これも堀切?

 

立ち入り禁止の橋の下から。

 

堀切。

 

工事をしている人たちがいたので、お願いして撮らせてもらいました。

 

当時は、展望台のある主郭は立ち入り禁止でしたが、現在は、主郭まで、車で行けるようで、駐車場もあるようです。

 

工事の人に、「撮ったら、すぐ引き返してね!」と念押しされたので、深入りできていません。

 

復興なった姿を、確認に行きたいところです。黒羽城址のアジサイとセットで。