日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

日暮れていよいよ遠き「核廃絶の道」

2024年04月26日 06時49分15秒 | 政治
 「2021年に発効した核兵器禁止条約(核禁条約)に加わるよう日本政府に求めるため、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)など約30の団体や個人でつくる「核兵器廃絶日本NGO連絡会」が母体となり、新たな団体「核兵器をなくす日本キャンペーン」を今月発足させた。政治への働きかけを強めるとともに、市民向けの学習会や国際会議を開いて核兵器廃絶への機運を高める狙いだ」(2024/04/20朝日新聞)
「日本政府」と言えば、その世俗的な最高権力者は内閣総理大臣である。その岸田文雄首相は被爆都市広島を選挙区とし、その市民によって選ばれて彼らの総意をもって国会に身を置いている。同じように、広島市長松井一実氏は岸田氏と同じように広島市民の政治・行政期待を背負って市長ポストを求め民主的選挙に勝利して市長の座を射とめた。
他方、広島市民はあの過酷な原子爆弾惨劇に対して二度と同じ思いをしたくないとして毎年原爆記念日には「ノーモアヒロシマ」と、声を限りに張り上げて非核を訴えている。こういう声に応えるとして岸田氏は世界首脳7人を招いてG7サミットを「被爆地広島」で開き、G7以外にも少なからざる各国首脳を招いて被爆の実相を見てもらうと同時に、広島市民のみならず圧倒的な数の日本人が持つ非核の思いを伝える意志を発揮したのであろうと、少なくとも筆者はその時、勝手にそう解釈していた。
で、あれば同時に広島市長もまた同じ思いであったに違いないと、内々心に決めてかかっていたのだが、どうもこの決めつけは間違っていたらしい。岸田氏は、一向に核廃絶の世界の圧倒的な声に耳を貸すどころか核体系にすっぽり納まっているG7残りの6か国の首脳らと気脈を通じ合っていて、一向に核廃絶の世界世論と合流しようとはしない。
加えて、地元市長は核を招き寄せた戦前の中核的思潮であった「教育勅語」について、「(広島市の)職員研修の市長講話で戦前・戦中の『教育勅語』の一部を引用していることについて、松井一実市長は21日の市議会で「今後とも丁寧に説明していきたい)」と述べた」(2024/02/22朝日新聞)というありさまである。
世界唯一の被爆国たるニッポンのその被爆地ヒロシマの、そこの民が選んだ一国の最高政治指導者たる総理大臣と、被爆中核都市として世界に知られたヒロシマの最高権力者たる市長が、核廃絶について遥かな距離を置いているという現実。冒頭記事の関係者たちは、穴のあいた柄杓で水をすくうような徒労感を感じないのだろうか? 古人の言う「隗より始めよ」はこういう時の戒めだが・・・?

どう見てもリスペクトされているようには見えない

2024年04月25日 07時11分34秒 | 政治
 「沖縄県の嘉手納基地(沖縄市、嘉手納町、北谷町)で19日、米軍がパラシュート降下訓練を行った。日米は原則、降下訓練は離島の伊江島補助飛行場(伊江村)で行うと合意しているが、嘉手納で行われるのは昨年12月以降、これで5カ月連続。異例の事態に、地元は強く反発している」(2024/04/20朝日新聞)
記事によればパラシュート降下訓練に定められている伊江島の滑走路に穴が開いているために危険で使えないのだという。「危険」なら、穴ぐらい自分たちで直したらよさそうなものだが、要は手近なところでやれるものならやっちまえというのが駐留米軍の上部の考え方なのであろう。
言いたくないが、先の大戦の敗戦直後、ジープに乗ったMPに「チョコレートッ!」、「ギブミー、チューインガム」と叫びながら土煙の後を追いかけた経験を持つ筆者らのようなポツダム少年たちには、米軍のやることなすこと万般が横柄な人種差別に見えてしまう。
つい先ほど、我らが日本の岸田文雄首相をして「国賓」として破格の厚遇をしてくれたばかりのアメリカ合衆国大統領とその軍隊にあっては、岸田氏を指導者に戴く沖縄の民=日本国民に対して、危険極まりない落下傘降下訓練などは、所定の場所以外ではやらないという当たり前の約束ぐらいは守って呉れなければ困る。
この約束に至るについては、以前、落下傘降下訓練が沖縄読谷町で行われていて、そこでは車両や物資なども投下されるという荒っぽいもので、1965年には小学生児が落ちてきた「トレーラー」の下敷きになって死亡するというとんでもな惨事を起こした。また79年には7キロの鉄塊をつけたパラシュートが民家わきに落下するという騒ぎもあったと聞く。文字通りの「落花(下)狼藉」というべき悪行だ。こういう人身御供の歴史から造られたルールをいとも簡単に破棄する無礼、断じて許すべきではない!
国賓として遇された我らの内閣総理大臣は、対中国包囲網をこの米軍と共に築くとして在日米軍と、わが「戦力でないとする」自衛隊との組織的緊密性を強化することにしたという。かくなる上は、愈々もって沖縄本島の訓練は言うに及ばず、横田でも岩国でも三沢でも、というコトになるのではないか?
岸田氏はともかく、日本国民はどう見ても米国政府からリスペクトされているようには見えない。米国大統領閣下から厚遇されてご満悦の岸田氏こそ、言葉の正しい意味で「売国奴」と言うのではないだろうか?!

この世をば我が世とぞ思う・・・

2024年04月24日 07時26分02秒 | 政治
 ・・・望月の欠けたることも無しと思へば」。言うまでもなくご存知、摂政・関白藤原道長の歌である。いま世間で、この道長朝臣にもたとえられる河野太郎国務大臣デジタル担当が下記のごとく国民に向かって「訓令?」を発したという。いわく;――
「河野太郎デジタル担当相が自民党所属国会議員に対し、マイナ保険証での受け付けができない医療機関がある場合に、公的な相談窓口に連絡するよう支援者に求める文書を送付していたことが19日、判明した。マイナ保険証の利用率は5%程度に低迷しており、利用率向上に向けてなりふり構わずに取り組む様子が浮かび上がる。ただ、マイナ保険証が利用できない医療機関の「通報」を促しているようにも捉えられかねない。文書には『デジタル大臣 河野太郎』と記載し、マイナ保険証の利用率が低迷している要因について『医療機関の受付での声掛けにあると考えられます』と説明。議員の支援者に『マイナ保険証の利用を働きかけて』と呼びかけた上、受け付けできない医療機関があれば、マイナンバー総合窓口に連絡するよう求めている。『厚労省から必要に応じて、事実確認をさせていただく』とも記し、マイナ保険証が利用できない医療機関の洗い出しをしたい考えが透けて見える」(2024/04/20毎日新聞)。
記事が言う如くこの文章、大臣(「おトド」と読む)肝いりの「マイナ保険証」なる「医療機関限定通行手形」について、これを尊重しないが如き医療機関が有れば、即刻これを大臣配下の「保健省(厚生労働省)に訴えよ!」という。巷の民間診療所・病院などは厚生省やら都道府県厚生部と聞けば身の毛の弥立つ緊張を強いられる「お上」に違いない。大臣(おとど)が推奨する「マイナ保険証」なるものが使えないとはもってのほか、通院者に積極的にこれを使うよう指導しないにっくき病院等はメシウド役人を派遣して徹底的に教導しなければならない、というがごとくである。
祖父一郎を元祖にして世に言う「三代目」、上記のような「告文」を発すれば「平民」どもは畏れ入るであろうと直感する神経。こういう独善家には、一度、「配所の月」を拝む経験をさせないと「望月」は二日と続かないという当たり前の「常識」がいつまでも身につかないだろう。
選挙民こそが自選挙区の政治家を教導する「教育者」でなければならない。主権は在民にあるということを、神奈川15選挙区(平塚市・茅ヶ崎・中郡)の選挙民は常に肝に銘じていなければならない。

「原発と一蓮托生」 ホゾを固めたのか? 佐賀県玄海町

2024年04月23日 07時04分11秒 | 政治
 佐賀県の玄海町はその名の通り玄界灘に面した半島の町、人口5,000人は佐賀県で最も人口の少なく「町」とは名ばかりの町だが、ここには九州電力玄海原子力発電所があることで広く知られている。この町が急遽「核のごみ」最終処分場誘致をめぐって佐賀県内はもちろん全国自治体から多くの耳目を集めている、という。
ここが注目されるのは、日本広しといえども原発の町が使用済み原子力燃料の核ゴミをさらに10億年の長きにわたって受け入れましょうとは言わない、少なくとも、原発運転中の地元には十分に過ぎる「迷惑料」が入っていて、隣接地域からは羨望のまなざしを受けているはずである。だから、数多ある原発所在市町村が核ごみを受け入れたいなどとは言わない。それより溜まりにたまっている使用済みの核燃料棒が発電所敷地内にうず高く積もっている危険への不安や不満を語るのが普通である。ところが、玄海原発の立地する玄海町だけは違う。積極的に「永久」処分場を誘致しようというのである。思うに人口5000人の町なれば、原発で従業員として働いているか、「九電」が発注する仕事で生計を立てているか、以上の人々の縁者であるか、それらの人たちの親戚・知人まで範囲を広げれば町人口のすべてが類縁者というコトになるだろう。街を上げて原子力発電事業と一蓮托生と「ほぞ」を固めたと理解してもよいのではないか?
とは言え、この国には10万年の長きにわたって地殻が動かない盤石不動の土地などは存在しない。まさか、この街の人々、それを知っていて「オンカロ」を誘致するというほど狡猾とは思えないが、行けるところまで「原子力・放射能文化」と付き合おうというのであれば、はてさて何と申し上げてよいのやら・・・?

「因果はめぐる?」という話

2024年04月22日 07時38分44秒 | 政治
 「2004年4月、イラクで日本人3人が現地の武装勢力に人質として拘束される事件が起きてから20年がたった。拘束から9日目の4月15日に解放されたが、帰国後に待っていたのは、3人の「自己責任」を問う強烈なバッシングだった。3人の中で最年少だった今井紀明さん(38)は今、困窮する若者を支援する認定NPO法人「D×P(ディーピー)」(大阪市中央区)の代表を務める。今井さんは『自己責任という言葉が広く使われる社会がいいのでしょうか。この言葉にあらがってきた20年だった』と振り返る。」(2024/04/16毎日新聞)。
2004年4月8日の灌仏会の日、イラクでNGO活動をしていた日本人3人がISによって人質に捕られてしまった。ISの要求は日本政府派遣の<自衛隊撤退>、それが容れられない場合には3日後に人質全員を殺害するという脅迫だった。この時の日本政府の返答は<自衛隊の撤退拒否>であった。幸い、同月15日になってISは別の人質二人を取って上の3人を開放するとともに、何が有ったのかは分からないがその翌々17日には人質全員を解放して事なきを得たのであったが、あのとき拘束された三人のうちの中に高校生のような「子ども」がいたが、その彼が上の新聞記事の主人公だったということらしい。
あの時のお騒がせの少年が、今や社会活動家に成長し、孤立や困窮という問題を抱える全国各地の13歳から25歳までの若者1万3000余人の相談にSNSを通じて乗っているという。また、困窮している人々には、「レトルト食品や缶詰、飲み物など30食ほどを箱に詰めて月1、2回程度送り、これまでに計20万食を支援」したり、「困窮度が高い人には現金支援もしており、給付総額は7000万円に達した」という。
あの時、さかんに「自己責任論」をぶっていた日本人たち、その多くは中年男たちであったが、彼らは今どうしているだろうか? 2004年はもう不況構図になっていたとはいえ、「Japan as Number One」のバブル経済の余熱も無いわけでは無かったから、彼らは心無い声も発せられたのであろうが、いまやどうしていることだろう? 「因果応報」、まさか自分たちが「給付」を享ける身になってはいまいか?
上は、「情けは人の為ならず」を痛感させられる新聞記事であった。