日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

統一教会は「宗教」を騙る「政治」団体だ!

2022年11月29日 07時47分26秒 | 政治
 旧統一教会問題を受けて、高額献金や霊感商法の被害救済に向けた政府の法案の骨子がちらっと見えてきた。案の定、この組織が半世紀上にわたって「宗教」の仮面をかぶって行ってきた<行為>を正すものとはなっておらず、当該団体が荒らしてきたケモノ道に白いペンキのガードレールを設置して、これがまるで正当な道であったかのように見せる欺瞞を施そうというのが自公政権の本音らしい。そのために「消費者契約法」を多少の字句を加えるだけで、事を穏便におさめようというのである。いわゆる「献金問題」には多少の効果があるかもしれないが、それよりなにより今この団体の問題点が厳しく問われているのはあくまでもその「教義?」と「信者支配」という本質的に「宗教」としてあるべき原点を逸脱してきた「歴史」とその「結果」である。
 教団組織に取り込まれ、それを「宗教」と信じている限りにおいて、(世に言う「鰯の頭も信心から」という限りにおいて)他人の容喙する場所はない。しかし、いま「統一教会問題」として、「安倍晋三殺人事件」によって噴出したありとあらゆる「魑魅魍魎的問題点」は、もはや既存の法律条文で防御できるレベルにはない。それが何故かというに、そもそもこの団体は「政治」団体ではあっても、「宗教」団体などではなかったからだ。もし政府案が効力を発揮するとすれば既存の宗教団体一般はもちろんだが、様々な団体組織の活動にも不自由が生ずる不都合を惹起するのではないだろうか。
 そもそもこの団体の問題は一般的に信教の自由の範疇にあるべき「宗教」ではあるまじき「行状」であった。近代国家にあって信教の自由は万全に保障されなければならないとして、この教団が行ってきた「活動」は「宗教」の範疇にあるべきでない「活動」であった。ゆえにこれは「宗教ではない」。「宗教」でない以上「宗教法人」の認定を国家として行うべきではなかったのである。
 つまり、今、国として当該団体に対して為すべき処分は唯一、「宗教団体資格の承認取り消し」のみが、やるべき全部であると思うのだがどうだ? 有害な害虫を駆除しようと「沈黙の春」を招いたDDTのようなものを社会に散布してはならない。与党案はそのDDTだ。法論議の小田原評定は該団体の思う<ツボ>にはまるところだ。そういえばこの団体は巨額献金の返礼として朝鮮白磁風の無価値の「ツボ?」がたくさん遣わされていたという。

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