(2016年8月当時)
▼まずはこんな写真からですが、ここへ行った時は夏季連休の最中で、当日思いつきで夜に乗り込んで泊まったという感じでした。JR湯田温泉駅から徒歩でアクセスできます。
チェックインした後にまず周辺の湯めぐりのような形で、近場をウロウロしていました。
温泉街ならではですが、山陽地方ではなかなかこういう事の出来る場所はないので大変貴重です。
▼ここは夜に立ち寄った日帰り温泉のひとつです。
この時2か所ぐらい寄ったかな…という感じですが、この「亀乃湯」という所は2020年に閉店したそうで、今はスーパーホテルに譲渡されたといいます。
ここにあるように390円で入りました。
▼外湯に浸かってきた後は、ここで晩御飯を頂きました。
下側の写真は昼間の姿です。
このお店を色々検索してみましたが、食べログでは営業が確認できなくて保留となっていて、Google Mapでは建物だけが残って、ウインドウは空っぽになっており、閉店したと思われます。
最初から写真をつけてお送りしているところがことごとく今は無きものとなっている、という事です。8年半くらい前の事ですが、時の流れですね…。
▼この時泊まったグリーンリッチホテル湯田温泉です。
昔、島根県の松江市で初めて泊まったホテルが前身のグリーンホテルでしたが、その時以来好きなホテルです。
▼こちらは「西の雅 常盤」という温泉宿で「女将劇場」が宿の看板として前面に出ていましたが、今でも催されているようです。
▼住所も「湯田温泉」四丁目だったりします。
やはり温泉の街ですね。
▼下湯田というバス停です。
結構バスは出ていました。
バックに見えているのはホテルニュータナカという、やはり温泉のあるホテルです。
▼西の京 いで湯の街へ ようおいでました
という事で看板が出ていました。
湯田温泉の由来が長々書かれてありました。
約600年の歴史があるといわれ、白狐が毎晩のようにお湯に浸かっていたなんて話もあったそうです。
▼こちらは 史跡 お茶屋臨野堂由来
とありました。
お茶屋の遺跡という事ですが、かつて萩に城を構えていた毛利氏が、山口に客館、そしてこの湯田にお茶屋を設け、藩主の休息場所にしていたといいます。
▼史蹟 瓦屋跡
とありました。
そして「山田顕義と瓦屋」として石碑説明板がありました。
山田顕義(=やまだ・あきよし。1844-92)は長州藩の幕末志士から明治時代は軍人・政治家として活躍し、内閣で初代司法大臣に就任した人物で、また日本大学の学祖でもあります。
元々は吉田松陰の門下生で、瓦屋は長州志士たちの利用した旅館だといいます。
▼山頭火の詠んだ句がマンホールに載っていて、わざと消されているのか分かりませんが、ピーの入るようなフレーズが刻まれていました(笑)
▼山頭火の句碑もあれば、中原中也の詩の碑もあり、中原中也(1907-37)こそ湯田を代表する人物として度々紹介されます。
湯田温泉は、温泉街というより普通の街に紛れるようにこういうスポットが点在して街が構成されているという感じでした。
▼中原中也記念館
がありました。
記念館があるぐらいには、この地において中也の存在は大きいのですね。
▼こちらはユウベルホテル松政
という温泉宿です。
1928(昭和3)年創業の歴史あるホテルだといいますが、2015(平成27)年に広島のユーアイベルモニーへ譲渡のたちで「ユウベルホテル」となったようです。
▼足湯がありました。
湯田温泉には足湯が点在していますが、こちらはそのひとつの湯田温泉観光案内所前のものです。
▼その足湯の傍にあった湯田温泉の自販機です。
観光案内所にはレンタサイクルもあるようで、街を流し歩くのも良いのですが、温泉エリアを少し抜けて違った風景を楽しむのもありかと思います。
▼こちらは井上公園という、広い公園にある足湯です。
▼同じく井上公園にあった、井上馨(1836-1915)候銅像です。
井上公園の名前は、この井上馨に由来しています。
やはりこの湯田で生まれ、長州藩士でしたが、明治政府の主要政治家の印象が強いですね。
結構色んな人物がフィーチャーされている温泉地でもあります。
▼公園の遊具も、湯田温泉を象徴する白狐でした。
前回のJR山口駅の隣駅となる湯田温泉駅から徒歩10分ほどのエリア一帯が温泉の集中したところとなりますが、山陽地方では稀有な温泉地につき、訪ねて損はない所だと思います。
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