6歳の娘が、3歳の妹を引き連れ、

家の前で近所に住む友達と

遊んでいた時のこと。

 

 

 

 

3歳の娘を、年上のお姉さん2人が

取り囲んで、何やら揉めている。

 

 

 

なんだなんだ?おもちゃの取り合いか?

 

 

 

そうして様子を伺うと、

どうやら、3歳の子を

「キックボードに乗せていいかどうか」

で、年上2人が揉めているらしかった。

 

 

 

 

たしかに、3歳の子に1人で

キックボードをさせるのは、

少しハードなことではある。

 

 

 

しかし、せっかく6歳の子たちが

対話をすることで、

ひとつの答えを出そうとしているのだ。

 

 

 

 

ここに大人の冷静な意見を

注入することなどありえない。

 

 

 

 

そこで、脳内で「朝まで生テレビ!」の

音楽を再生し、6歳児たちの生討論を

静かに見守ることにした。

 

 

 

 

ちなみに、僕の娘は、

「妹を1人で乗せてあげたい派」で、

娘の友人は、

「3歳の子を

1人で乗せるのは危ない派」だった。

 

 

まず、僕の娘が、自分の意見を

テーブルの上に乗せた。

 

 

 

 

1人で大丈夫だよ。

だって、この前、

トイレも1人で、できたし」

 

 

 

 

さっそく謎の理論が炸裂する。

 

 

 

 

だって、キックボードとトイレには、

なんの関連性もない。笑

 

 

 

 

さて、謎の理論に対し、

友人はどう返すのか?

 

 

 

固唾を呑んで見守る僕。

 

 

 

「でも、それを言うなら、

さっき、靴を履くのは、

1人で、できてなかったよ!

だから、キックボードも危ない」

 

 

 

 

きた〜!目には目を、歯には歯を戦法だ〜!

 

 

 

 

そんなこんなで、混迷を極める討論。

 

 

 

引き続きあーだこーだ言い合うなか、

娘の友人が状況を打破すべく、

こんな一言を娘に放った。

 

 

 

 

「だって、1人で乗らせたら、

怪我するかもしれないんだよ!?」

 

 

 

 

まあ確かに、その可能性は否めない。

 

 

 

 

 

先ほどの破綻した理論とは打って変わり、

かなりの理詰めだ。笑

 

 

 

 

ただ、この後だった。

 

大人の僕ですら

ハッとする瞬間に出くわしたのは。

 

 

 

 

それは娘の一言だった。

 

 

 

 

「怪我するかも

しれないってことは、

怪我しないかも

しれないってことじゃん」

 

 

 

 

確かにそうなのだ。

 

 

 

 

「かもしれない」と言っている時点で、

対になっている選択肢と

元の選択肢が

それぞれ起こる可能性は、

フィフティフィフティ。

 

 

 

 

 

つまり、

「失敗するかもしれない」は、

「成功するかもしれない」と

同義語なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

それなのに、僕たちは普段なぜか、

「失敗」の可能性ばかり、

高く見積もってしまう習性がある。

 

 

 

 

きっと、そのほうが挑戦せずに済んで、

楽だからだろう。

 

 

 

 

ただし、「成功するかもしれない」のに、

挑戦をやめてしまうのは、

大変もったいない行為だ。

 

 

 

だって、言葉通り、

成功するかも

しれないんだから!笑

 

 

 

 

だから、思った。

 

 

 

今後、何か新しいことを

始めよう!となった時。

 

 

「失敗するかもしれない」と

心配になったら、

自分の中でこう反論しようと。

 

 

 

 

 

「え?じゃあ、それって

成功するかも

しれないってことじゃん!」

 

 

 

 

 

さて、ところで

娘たちの討論はどうなったかって?

 

 

 

 

実は、年上2人が、あーでもない、

こーでもないと言い合っているのを

すり抜け、3歳児はスイスイと1人で

キックボードを乗りこなすのであった。

 

 

 

 

 

そして、そんな光景を

年上2人が見て、爆笑。

 

 

 

 

あーあ、今日も、この世界は平和だ。

 

 

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