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反省しない人のスピリチュアル性は実はすごく深い

反省しない人のスピリチュアル性は実はすごく深い

反省していないのは、悪い人、つまり道徳心や善悪の感覚が欠けている人のように感じられがちです。

しかし、反省していない人のスピリチュアリティは、実はこのような表面的な認識よりもずっと豊かで深いものなのです。

悔い改める、あるいは悪いことを受け入れるという行為をした人は、たいてい心の平安と喜びで報われる。

しかし、不義を受け入れないことを選択した反省しない人にとっては、これは強さと勇気の表れと見ることができるのです。

反省しない人のスピリチュアル的な本質は、強さと勇気を兼ね備えた人です。

反省やリフレクションというのは、自分自身の習慣や価値観を理解し、人生のあらゆる局面で活用できるようになるため、人間的な成長にとって不可欠なプロセスです。

言い換えれば、反省しない人は成長しない人ということ。成長しないと決めた強さと勇気を持った人なのです。

こう考えると、反省しない人って、逆に凄い人と思えますね。

そして、私たちは無反省の人たちを反面教師にして自分の過ちに向き合い、困難な真実を受け入れる勇気を得るのです。

同じ信念や慣習を共有しない人々を排除するのは簡単ですが、このように、反省しない人々のスピリチュアル性を理解することは、より大きな霊的存在を理解する鍵になるのです。

この記事では、反省しない人のスピリチュアル性などを神学的な観点からも解説していきます。

反省しているかどうかを見抜くのは難しい

他人が本当に反省しているのかどうかを見極めるのは難しいです。

というのも、反省というのは「意識の働きに向けられた内的感覚」だからです。

自分の行動を振り返ったり、それについて考えたりすることです。

この感覚こそがスピリチュアル的には重要なことでもあるので、反省しない人はスピリチュアル性がないと言っても過言ではないかもしれません。後述しますが、このことについては実は聖書でも語られています。

いかにも反省しているような素振りをしている人ほど、実は反省していないといったケースを見たことがある人も多いと思います。そういう人に限って、何度も同じ過ちを繰り返すのです。

本当に大切なことと、あなたが求めていることは実際に変化の行動が伴う悔い改めるということかもしれません。

反省しない人は幸せ

過ちを犯したり、社会的に許されないことをしたりしても、満足し、喜びを感じることができる人も存在しています。

それでは、反省しているからと言って、自動的にその人が「良い人」になるのでしょうか?

反省している人も、反省していない人も、状況や自分の行動に対する理解によって、どちらもあり得ることなのです。

その意味で、反省できない人、自分の行動の結果を深く理解できない人に対しては、批判することなく、思いやりを持つことが大切です。

自分の過ちを反省しない人がいますが、それはそれでいいのです。

反省しないからといって、その人が善良で優しい人でなくなるわけではありません。

平和と充足に至る道は人それぞれであり、それを認識することが大切です。

反省や悔い改めの必要を感じない人でも、幸せで、満足し、有意義な人生を送っているかもしれません。

反省する時間を取らないからといって、その人が道徳的に曖昧であったり、善悪の観念がないとは限らないのです。

スピリチュアリティの体験の仕方は人それぞれで、そのことを心に留めておくことが大切です。

反省よりも大事な悔い改める

聖書は、悔い改めない人は自分と神との間に障害物を作っていると教えています。

彼らは悔い改める努力をせず、また悔い改めようとしないので、神の恵みは彼らに届かないとされています。そのような人は、本質的に自分自身と神との間に壁を作っているのです。

だから、イエスはマタイ伝で、「悔い改めないで神の怒りに触れるよりは、悪いことをしているように見える方がましだ」と言われたのです(マタイ12:41)。

反省しないと悔い改めるは厳密には違いますが、悔い改めるための大きなステップであり、反省しているかどうかを他人が見極めるのは本質的ではありません。多くの人が求めていることは、悔い改めるという実際に行動に移すことです。

悔い改めなければ、その人は孤立した状態に置かれ、好きなように行動し、他人を傷つける自由がありますが、一般的に言われている霊格や魂のレベルは下がったままでしょう。

これは、私たちの人生を本当に変える力を持つ唯一のものである神の意志から、本質的に自分を切り離してしまったからです。

悔い改めなければ、悔い改めない人は軽蔑とそれに伴う憎しみで心がいっぱいになってしまいます。

このような人は、神からの恵みと真の悔い改めを受けることができず、この連鎖を断ち切り、より良い道へ導くことができません。

また、良心の呵責を抑え、自分の行いが善であったと思い込もうとする人もいますが、これも霊的に不安定な状態に陥ります。

使徒パウロは、ローマ人への手紙1:18-19で、このような霊的不安の連鎖について、「これらの人々は神の真理を抑圧し、あらゆる種類の悪に満たされ、さらに悔い改めず、霊的問題に関しては無口になってしまう」と述べました。

このように、聖書からも「悔い改める」ということの重要性が説かれていたことがわかります。

まとめ

反省というのは大事なステップですが、他人が反省しているかどうかを判断することはできません。

大切なことは、反省したかどうかではなく、悔い改めることができるかということでしょう。

そして反省しない人たちのことを、自分自身がどう感じたか?考えた結果、さらにどのように感じ方が変わっていくのかというのが大切です。

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