『終わった人』はサラリーマンの末路を疑似体験できる小説。現役30代リーマンにおすすめ

読んでよかった

内館牧子の『終わった人』を読みました。

終わった人。つまり定年を迎えたサラリーマンの”その後”を描いた作品です。

内館牧子と言えば”横審にいるおばあちゃん”というイメージだったんですが、朝ドラの「ひらり」とか大河ドラマ「毛利元就」とかの脚本を書いた人なんですね。

さすが人気脚本家。読みやすく渋いタイトルながらドラマチックに仕上がっていておもしろかったです。サラリーマンの末路を疑似体験できて勉強になりました。

あらすじ【終わった人】

東大出身、メガバンクでエリート街道を歩んできた田代。サラリーマンの最後はごく小さな関連会社の専務だった。定年後のあり余る時間を消化すべく新聞を2回読んだりジムに通ったりする毎日。そんな時に学生時代の友人の二宮と出会う。サラリーマンを30代で早々と見切りをつけたという彼は思いもよらない生きがいと夢を持っていた・・

なにが良かった 【終わった人】

サラリーマンを終えたあとの世界を疑似体験できるところ。

主人公の田代は根っからの仕事人間。忙しく仕事をすることで幸せホルモンが分泌するタイプの彼は、定年後「必要とされてない自分」に劣等感を持ちはじめます

ここで感じたのは、こんなとき(家族を含めて)人は頼れないんだなと。

自分の生きがいは早くから自分で作っていかないとダメなんだと感じました。

小説では田代が定年後、これからは妻とゆっくり生きるぞと思い立ち、東北への長旅を提案しても、妻は40代で勤めはじめた美容室から独立を考えていて大忙し。「1泊なら付き合ってもいいわ」と上から目線であしらわれる。老後の男が奥さんに邪魔者扱いされる話はあるあるですが、この辺が非常にリアル。

また打ちひしがれてる時に、友人の二宮が現れます。

出世争いに嫌気がさした二宮は「サラリーマンは生活の糧」と早々に見切りをつけ、趣味であるボクシングのレフェリー業をはじめる。60代になっても「いつか世界戦を裁くのが夢なんだ」と目をキラキラさせて言う二宮。

結局サラリーマン。会社って忙しいだけの竜宮城のようなトコですよね。

  • 興味もない製品を売る
  • 興味のない製品を作る
  • 興味ないひとたちを管理する

気づいたらはや40年。顔はシワシワ。「え⁉俺ってホントは何がしたかったんだっけ・・」

なんとなく日々に追われてそんなこと深く考える余裕がない(逆に考えなくてもそれなりに生きていけるところが怖い。)ホントに考える時間ができた定年後は体力的、世間的に挑戦がむずかしくてあとの祭り

なのでサラリーマンの間から興味のあることはじゃんじゃん挑戦していこうと改めて思った次第です。

印象に残ったセンテンス

人は死ぬまで、誇りを持って生きられる道を見つけるべきだと・・あの時、骨身にしみた」
胸を射抜かれるような、痛い言葉だった。企業というところは、人をさんざんに威張らせ、さんざん持ち上げ、年を取ると地に叩きつける。そうした末に「終わった人」が、どうやって誇りを持てばいいのだ。

電話を切ると、笑いがこみ上げてきた。「生きてるついで」か。考えてみれば、世の中の何もかもが「生きてるついで」かもしれない。「職場と墓場の間」に何もない人生が、いかにつまらないか。それは俺の身にしみている。

その時、それらの会でふと気づいたのである。若いころに秀才であろうとなかろうと、美人であろうとなかろうと、一流企業に勤務しようとしまいと、人間の着地点って大差ないのね・・・(中略)本書の主人公のように、着地点の至るまでの人生が恵まれていれば、かえって「横一列」を受け入れられない不幸もある。

以上です。

それでは。Go for it!