リートリンの覚書

日本書紀 巻第十七 男大迹天皇 二十八 ・任那・新羅・百済の裏切り



日本書紀 巻第十七 男大迹天皇 二十八

・任那・新羅・百済の裏切り



これによりて、
ことごとく行迹(あるかたち)を知り、

心を翻(ひるがえ)し、
背(そむ)くが生まれました。

すなわち、
久礼斯己母(くれしこも)を
使いとして遣わし、

新羅に、
兵を請いました。

奴須久利(ぬすくり)を百済に使わせ、
兵を請いました。

毛野臣は、
百済兵が来ると聞き、
背評(へこほり)で迎え討ちました。

(背評は地名です。亦の名は、能備己富里(のびこおり)です)

死傷者は半(なか)ばにもなりました。

百済は、すなわち、
奴須久利を捉え、
杻械(ちゅうかい)と枷鎖(かさ)をして、
新羅と共に城(しき)を囲みました。

阿利斯等(ありしと)を責めて罵り、
「毛野臣を出せ」
といいました。

毛野臣は、
嬰城(えいじょう)し、
自ら固めました。

勢いがあり、
擒(とりこ)にすることができませんでした。

ここにおいて、
二国は使いのよい地をはかって、
ひと月も淹留(えんりゅう)し、
城を築いて還りました。

久礼牟羅城(くれむらのさし)といいます。

還る時、
触路(みちならし)に、

騰利枳牟羅(とりきむら)、
布那牟羅(ふなむら)、
牟雌枳牟羅(むしきむら)、
阿夫羅(あぶら)、
久知波多(くちはたき)の
五城を抜きました。



・行迹(あるかたち)
行動の痕跡
・杻械(ちゅうかい)
手かせと足かせ。転じて、自由を奪われること
・枷鎖(かさ)
くびかせとくさり。罪人をつなぐ刑具
・嬰城(えいじょう)
城壁をめぐらして、その中にたてもこる。籠城する
・淹留(えんりゅう)
長く滞在すること
・触路(みちならし)
道すがら、道を行きながら。道の途中で。みちみち。



(感想)

前回までのお話は、

任那王・阿利斯等は、毛野臣が行動の詳細、また任那復興の約束を果たさないことを知り、しきりに帰朝を進めましたが、一向に聞き入れませんでした。
そのお話の続きです。

継体天皇24年秋9月、
これによりて、
阿利斯等は、
ことごとく毛野臣の行動の痕跡を知り、

心を翻し、
そむく気持ちが生まれました。

すなわち、
久礼斯己母を使者として新羅に派遣し、
出兵を請いました。

奴須久利を百済に派遣し、
出兵を請いました。

毛野臣は、
百済兵が来ると聞き、
背評で迎撃しました。

死傷者は半数にもなりました。

百済は、
(兵を失い激怒して、任那の使者、)
奴須久利を捉え、

手かせと足かせと首かせと鎖をして、
新羅と共に城を囲みました。

阿利斯等を責めて罵り、
「毛野臣を出せ」
といいました。

毛野臣は、
籠城し、自ら固めました。

勢いがあり、
捕まえることができませんでした。

ここにおいて、
二国は使いのよい地をはかって、
ひと月も長く滞在し、
城を築いて還りました。

久礼牟羅城といいます。

還る時、
道の途中で、
騰利枳牟羅、布那牟羅、牟雌枳牟羅、
阿夫羅、久知波多の
五城を抜きました。

任那王・阿利斯等の反旗。

逆に沢山の領土を
失うことになってしまいましたね。

任那国。
復興はできるのでしょうか?

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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