リートリンの覚書

日本書紀 巻第十八 広国押武金日天皇 二 ・天皇の納采 ・伊甚国造等罪を犯し償う



日本書紀 巻第十八 広国押武金日天皇 二

・天皇の納采
・伊甚国造等罪を犯し償う



三月六日、
有司が、
天皇のために、

億計天皇(おけのすめらみこと)の娘、
春日山田皇女(かすがのやまだのひめみこ)を、
納采して皇后としました。

(更の名は、
山田赤見皇女(やまだあかみのひめみこ))

別に三、妃を立てました。

許勢男人大臣(こせのおひとのおおいぎみ)
娘の紗手娘(さてひめ)

紗手娘の妹・香香有媛(かかりひめ)、

物部木蓮子大連
(もののべのいたびのおおむらじ)の娘の
宅媛(やかひめ)を立てました。

(木蓮子、これは伊陀寐(いたび)といいます)

夏四月一日、
内膳卿膳臣大麻呂
(かしわでのつかさのきみかしわでのおみおおまろ)は、

勅を奉じて、
使いを遣わして、
珠を伊甚(いじみ)に求めました。

伊甚国造等は、
京に詣でるのが遅く、
時をこえても進めませんでした。

膳臣大麻呂は、
大いに怒り、

国造等を収縛(しゅうばく)し、
所由(しょゆう)を
推問(すいもん)しました。

国造稚子直
(くにのいやつこわくごのあたい)等は、

恐懼(きょうく)して、
後宮の内寝(おおとの)に
逃げ匿(かく)れました。

春日皇后は、
まっしぐらに入ったのを知らず、

驚駭(きょうがい)し、
たおれました。

慚愧(ざんき)がとまりませんでした。

稚子直等は、
兼ねてから
闌入罪(みだれがわしくまいれるつみ)に
あたり、
科(とが)が重くなりました。

謹んで専ら、
皇后の為に、
伊甚屯倉を献じて、
蘭入罪をつぐなうと請いました。

よって、
伊甚屯倉を定めました。

今、分けて郡として、
上総国(かずさのくに)に属しています。



・伊甚屯倉(いじみのみやけ
後の上総国夷灊郡(現在の千葉県夷隅郡・いすみ市・勝浦市)を中心とする地域にあった屯倉。
・収縛(しゅうばく)
罪人などを捕えて縛ること
・所由(しょゆう)
由来するところ。おこり
・推問(すいもん)
問いただすこと。特に罪を取り調べること
・恐懼(きょうく)
おそれ、かしこまること
・内寝(おおとの)
宮中の寝殿
・驚駭(きょうがい)
おそれおどろくこと。驚愕。けいがい
・慚愧(ざんき)
自分の行動を反省して恥ずかしく思うこと
・上総国(かずさのくに)
千葉県中央部の旧国名。東海道十五か国の一つ。



(感想)

安閑天皇元年3月6日、
有司が、天皇のために、

仁賢天皇の娘の春日山田皇女を、
結納して皇后としました。
(更の名は、山田赤見皇女。)

別に三人の妃を立てました。

許勢男人大臣の娘の紗手娘、

紗手娘の妹・香香有媛、

物部木蓮子大連の娘の宅媛を立てました。

夏4月1日、
内膳卿膳臣大麻呂は、
勅を受けて、

使者を派遣して、
真珠を伊甚に探し求めました。

しかし、
伊甚国造等は、
京に到着するのが遅く、
期限の時をこえても献上しませんでした。

そこで、
膳臣大麻呂は、
大いに怒り、

国造等を捕えて縛り、
事のおこりを問いただしました。

国造稚子直等は、
おそれ、
かしこまりして、
後宮の寝殿に逃げ匿(かく)れました。

春日皇后は、
稚子直らが、
まっしぐらに逃げ入ったのを知らず、

驚愕し、
倒れてしまいました。

皇后は自分の行動を
恥ずかしく思うことが止まりませんでした。

稚子直等は、
兼ねてからの罪と
宮中に蘭入罪にあたり、
罪科が重くなりました。

謹んで専ら、
皇后の為に、

伊甚屯倉を献上して、
蘭入罪をつぐないますと請いました。

よって、
伊甚屯倉を定めました。

今、分けて郡として、
上総国に属しています。

国造稚子直。
後宮に乱入して、
死罪にならなくてよかったですね。

他国なら
即、死刑ですよ。

ゆるいなぁ。
大和。

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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