リートリンの覚書

日本書紀 巻第十八  広国押武金日天皇 一 出自



日本書紀 巻第十八 

広国押武金日天皇
(ひろくにおしたけかなひのすめらみこと)

安閑天皇
(あんかんてんのう)

・出自



勾大兄廣國押武金日天皇
(まがりのおおえひろくにおしたけかなひのすめらみこと)は、
男大迹天皇(をほどのすめらみこと)の長子です。

母は目子姫(めのこひめ)といいます。

この天皇の人となりは、
墻宇㠜峻(うつわものいつくし)で、
窺うことができないほどでした。

桓々寛大(たけくゆたかにおおき)で、
人君の量りごとがありました。

二十五年春二月七日、
男大迹天皇は、
大兄を立てて天皇としました。

即日、
男大迹天皇が崩じました。

この月、
大伴大連を大連とし、

物部麁鹿火大連
(もののべのあらかびのおおむらじ)を
大連としました。

どれも故と同じでした。

元年春正月、
都を大倭国の勾金橋(まがりのかなはし)に
遷しました。

よって宮の号としました。



墻宇㠜峻(うつわものいつくし)
器量がすぐれていること
桓々寛大(たけくゆたかにおおき)
武勇であって寛大
・大倭国の勾金橋
勾金橋宮は、橿原市曲川町の金橋神社付近に推定。



(感想)

安閑天皇(あんかんてんのう)は、
継体天皇(けいたいてんのう)の長子です。

母は目子姫といいます。

この天皇の人となりは、
器量がすぐれて、
底を窺うことができないほどでした。

武勇であって寛大で、
人君の器量がありました。

継体天皇25年春2月7日、
継体天皇は、
大兄を立てて天皇としました。

即日、
継体天皇が崩じました。

この月、
大伴大連を大連とし、
物部麁鹿火大連を大連としました。

どれも以前と同じでした。

元年春正月、
都を大倭国の勾金橋に遷しました。
よって宮の号としました。

本日より
広国押武金日天皇の条、
始まります。

お付き合い頂けたら幸いです。

さて、安閑天皇の御代は
どのような時代だったのでしょうか?

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


ランキングに参加中!励みになります。
ポチッとお願いします。

にほんブログ村 歴史ブログ 神話・伝説へ  

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

最近の「日本書紀・現代語訳」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事