西円寺だより

富山市にある浄土真宗のお寺・西円寺のブログです。

【お寺の質問箱】ウチの宗派は何て名前?

みなさんこんにちは。

今回から、本山に勤めていた時に全国のご門徒さんから頂いた質問と、それに対する私の回答を紹介させて頂きます。

 

【質問】

「ウチの宗派って『浄土真宗』って言ったり『お東』って言ったりするよね。あと本山にお参りすると『真宗大谷派』っていうのもよく聞くし。結局正式名称は何なの?」

 

 

【答え】

浄土真宗…私達が信じる教えの名前

元々『浄土真宗』という名前は、宗祖親鸞聖人の主著『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)の中に記された

「大無量寿経 真実之教 浄土真宗

(『大無量寿経』にこそ真実の教えが説かれており、その教えを『浄土真宗』と名付ける)

 という言葉に由来します。

 

『大無量寿経』には、法蔵菩薩という修行僧が「私が仏になったらこういう風に人々を救います。もしそれが出来ないなら安らかな覚りの境地に入りません」という誓い(本願)を立てたこと、そして長年の修行の末に阿弥陀仏となり、本願に誓った通り人々を救い続けていることが説かれています。

 

48項目ある本願のうち、第18願を通して

「修行が出来なくても、戒律を守れなくても、ただお念仏をとなえるだけで、誰でもお浄土に生まれる」

というのが阿弥陀様の一番伝えたかったことだと見抜かれて、「浄土宗」を開かれたのが法然上人でした。

 

そして法然上人の弟子であった親鸞聖人は、師と離別した後も思索を重ね、

「“お念仏をとなえれば浄土に生まれる”という阿弥陀様の本願を信じるその時に、お念仏申す身となり、お浄土に生まれて仏に成ることが定まるのだ」

という結論に達しました。

 

『大無量寿経』の教えを「念仏を称えることで救われる」と説かれた法然上人に対して、親鸞聖人は「信心によって救われる」と説かれたのです。

 この「大無量寿経に説かれた本願を信じ、お念仏を申すことで、お浄土に生まれて仏に成る」という教えを、親鸞聖人は『浄土真宗』と名付けらました。

 

こう申しますと、親鸞聖人が法然上人とは違う教えを説いたと思われるかもしれません。

しかし少なくとも親鸞聖人自身には、その様な考えはありませんでした。

浄土真宗」とは「法然上人が本当に伝えたかったこと、法然上人の御教えの核心」であり、それ故に浄土真宗の宗祖は自分ではなく法然上人であるというのが親鸞聖人の立場でした。

 

ですから「浄土真宗」とは、元々親鸞聖人が法然上人から学んだ『大無量寿経』の教えを指す名前であります。

 

 

◎「お東」…浄土真宗の本山の一つである「東本願寺」のこと。また東本願寺を本山とする寺院、門徒の通称  

東本願寺は江戸時代の始めに教如上人によって創立されました。

教如上人は文禄元年(1592年)に父・顕如上人の後を継いで本願寺住職となりましたが、豊臣秀吉の命令によりわずか1年で隠居を余儀なくされます。

後任には弟の准如上人が就いたものの教如上人を支持する門徒も多く、事実上本願寺教如派と准如派に分裂します。

 

その後関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が天下人になると、昵懇の仲であった教如上人に京都烏丸七条の広大な土地を寄進。

教如上人はそこに伽藍を建立し、阿弥陀如来御真影をお迎えしました。

この新しい本願寺准如上人が継いだ元々の本願寺より東に位置することから、「東本願寺」と呼ばれる様になりました。

 

東西それぞれの本願寺では用いる仏具や勤行の節回しに違いがありますし、ご本尊や法名は本山から授与されるので、「ウチの宗派はお西」「私はお東の門徒」という風に言う事が多いと思いますが、どちらも同じ浄土真宗であります。

 

 

真宗大谷派東本願寺を本山とする宗教法人

明治時代の初めまで、東西本願寺を含む浄土真宗各派は、他宗派から「一向宗」と呼ばれていました。

「一向(ひたすら)に阿弥陀仏を拝む宗」という意味ですが、そこには戒律を守らず念仏以外の修行をしないことへの嘲りや「お前らに“真の浄土宗”を名乗る資格は無い」という浄土宗側の反発が含まれていました。

そのため蓮如上人は御文(第一帖十五通)の中で

「“一向宗”の名も根拠が無い訳では無いが、親鸞聖人は“浄土真宗”と名乗られた。

だから他宗はともかく我々自身が一向宗を名乗ることはあってはならない」

(大意)

 と書いておられます。 

 

江戸時代に入ると東西本願寺は「浄土真宗」を教団の公式名称として認める様に繰り返し訴えてきましたが、浄土宗からの反発が強く、将軍家の菩提寺が浄土宗の本山増上寺であったこともあり、認められることはありませんでした。

 

しかし明治時代に入り、事態は大きく変化します。

 新政府は国民一丸となって新しい国家を作っていく上で、全国に数百万の門徒を擁する本願寺の影響力は無視できないと判断し、明治5年(1873年)にようやく「真宗」を名乗ることが政府から許可されました。

そして東本願寺を本山とする教団は、本願寺発祥の地である京都の地名にちなみ、「真宗大谷派」を宗教法人としての正式名称に定めたのです。

 

現在、真宗大谷派は日本及び海外の8600以上の寺院・教会によって構成され、全国の僧侶と門徒の代表による「宗会」によって運営されています。