攻城日記/3rd ~城逢人~

攻城日記/3rd ~城逢人~

中世城館・板碑好きのマニアの日々の記録

Amebaでブログを始めよう!

結城市との境、旧三和町諸川の台地に所在しました
中世においては城の東側に所在した飯沼を望む
南北に伸びる台地上とに築かれた城でありました
西側にも谷津状の地形が複雑に入り組んでいます

城は現在個人敷地内にわずかに土塁を残すのみです
その土塁も道路沿いのフェンス越しに見える程度です
案内板が設置されているのですが無残にも泥にまみれ
行政の設置した『ゴミを捨てるな』という看板に
立てかけてあり解説文が読めなくて困りました

古河足利義氏に仕えた中村豊後守の城と伝わります
案内板に書かれた土地所有者から察するに現在も
子孫がこの地にお住まいのようです
室町期には柑露信濃守の居城であったとも伝わります

 

↓諸川西門城の航空写真(電子国土空中写真1961~69を使用して作図)


参考  三和町史/資料編  通史編
     三和町郷土史/中村俊夫
     現地案内板

先日、伊那市で城館&歴史探訪の旅をしてきました

しかし本命は城館でも他の史跡でもなくローメンでしたwww

 

先日の夜に東京を出発して夜半に着陣していました

頭の中はローメンで一杯でしたwww

出立する4時間くらい前ですかね

『ローメン喰いてぇ~』と急に発作がwww

 

だから伊那市へ着いた夜中に薄暗い車内で城館や歴史の下調べとプランを練りました

 

朝八時に作戦行動を開始します

ローメン、朝でも昼でもなく夕方に食べる作戦にしました

なぜならテイクアウトできる店を見つけたので茅野へ抜ける杖突峠の見晴らし台で食べよう思い立ちました

私にしてみれば物凄い贅沢でありますww

 

朝、道の駅で購入したメロンパンとコロネを食べたきり何も食べずに城館探訪をしました

そして夕方、17時開店に合わせて高遠町の町中にある『食事処みすず』へ向かいます

大盛860円のローメンを注文します

お店の好意で超大盛のローメンをいただきましたww

これを暖かいうちに杖突峠で食す

この日最大のミッションが発動します(`・ω・´)ゞ

しかし向かう途中には訪れたいと考えていた北条時行の屋敷跡と伝わる権殿屋敷があります

藤沢地区の高原集落の山の麓にあります

山間の集落の狭い生活道路を登った先にあるようです

難易度が高いようです 見学に時間がかかりそうです

普段ならば車を停めて集落歩きを楽しみながら見学するのですが

今日はそんな余裕はありません

なぜなら暖かいうちにローメンを食べる

日没前の景色を楽しみながら食べる

この目的を達成することが最優先なのです

 

あっさり権殿屋敷は諦めましたwww

遠景写真で済ませます

時行さんゴメン  心の中でつぶやきます

あとで知ったのですが権殿屋敷の向かい谷を挟んだ西には栗木田城という山城があったのです

余裕がないということは怖いですね

城好きの私が地形や地図の地名を見てそのことに気づかないとは情けないですわ

 

日没前、藤沢城入口という看板も華麗にスルーして杖突峠へ到着します

展望台・・・閉鎖されてます

昔は入れたのに今はダメみたいです

花火の時期は有料で開放されるみたいだけど

仕方ないので景色を楽しめない杖突峠のパーキングでローメンを食べました

美味すぎました

ソースと麺がよくからんでいて

夢中で食べました

景色が楽しめないので食べることに集中できましたwww

 

人間、美味しいものの前では景色など気にならんのですわ

古河市、旧三和町の恩名地区の飯沼跡の水田地帯に面した台地端に
女人堂砦はありました
後北条氏滅亡後に結城一族の山川氏が恩名を領し拠点としました
それ以前から山川氏との関わりがあったともいわれます
その場合、本拠地である山川城の南を守る拠点と考えられます
天正になると北条氏の侵攻が本格化した際に
攻略されたのかもしれません

飯沼を水運に利用していたのでしょう城下には船付という
地名が橋の名前となり残ります

主家・結城氏か越前に移封すると山川氏も従いますが
一族が恩名に帰農し砦を屋敷としたと伝わります
現在も子孫が住んでいて本家より譲られた文書が残されているそうです

私有地のため見学はできません
舌状台地となる山林は気になりますが^ ^
山川家の入口には櫓台跡なのか?土塁が崩れたような塚状態の地形が見られます

余談ですが女人堂の由来は平将門の妾・君の御前を
葬った塚が所在したことに関わりがあるのではないでしょうか

 

↓女人堂砦の航空写真(電子国土空中写真1974~78を使用して作図)



参考  三和町史/通史編 

    三和の歴史/三和町立資料館
    中世の豪族山川氏/三和町立資料館
    古河の歴史を歩く/古河歴史シンポジウム実行委員会
    将門伝説ハンドブック/村上春樹

仁連地区の地方主要道17号線沿い、ひかり保育園の北隣が
関根豪族屋敷であります
民家敷地となりますが屋敷を囲む水堀、暗渠となる堀跡を
見ることができます
土塁に関しては確認できませんでした
※内堀と外堀の二重の堀が残るとされています

確認した水堀は幅3mほどで見ごたえあります
立地や構造からみて開発領主の館と考えられそうです

長者屋敷という別名があります

関根豪族屋敷がいつ頃構えられたのかは不明です
戦国期には関根内匠が主で弓の名手として知られていました
梁田氏に従う地侍で天正6年(1580)に多賀谷氏が仁連を
攻めた際にこれを迎え撃ち討ち死にしたと伝わります
仁連の大志堂の墓地には関根内匠の墓と伝わる宝篋印塔が
存在するそうです
屋敷地は子孫が北と南に分割して居住したといいます

 

↓関根豪族屋敷の航空写真(電子国土空中写真1974~78を使用して作図)


参考 三和町史/資料編 通史編

   三和町郷土史/中村俊夫
   三和の歴史/三和町立資料館

ご無沙汰しております

 

やっと復帰できます

今年の繁忙期は苦しかったです

メンタルがやられました

 

一昨日、心のメンテを目的として長野県へ城館探訪してきました

 

前日の夕方に自宅を出陣して長野県内のある場所で野営をします

いちおうテーマがありまして北条時行であります

伊那には時行さんが鎌倉を逃れた際に隠れ住んだと伝わる地がいくつかあり気になってました

この人物は近頃、有名らしいのです

私はその影響を受けたわけではありませんよ

 

●大徳王寺城    伊那市

 旧・長谷村です

 北条時行の立て籠もった城といわれる場所です

 気になっていたんですわ

 大きな堀切は見ごたえありました

 

●溝口下ノ城

 大徳王寺城の西、美和湖に突き出す舌状台地に構えられた城跡です

 

〇江島囲み屋敷 非持

〇江島囲み屋敷 高遠

 大奥でお馴染みの江島さんの流刑地の屋敷2箇所訪れました

 

●高遠城  3回目

 三度目の訪問です

 何となく寄ってみましたが真夏は遺構の見学に不向きでした

 

●小原城と元穴城

 資料によっては別々の城と書かれていたり一緒と考えられる謎の場所です

 小原地区、三峰川の段丘上に所在したといわれる城跡です

 小さな段丘上の台地に2つの城があったのか?

 遺構は見られません  

 山田城という山城を登る気でいましたが車を停める場所がなく

 登り口がヤブだったので諦めました

 

●黒河内城

 山城が無理と判断して矛先を平地の城館群に向けました

 富県地区へ移動しました

 

●一夜の城  2回目

●貝沼荒城、貝沼古城、貝沼池田の城、中島の城

 すべてが微妙な城跡でしたww

 城跡らしさは感じられますが・・・

 

●竹松城

 福地地区へ移動しました

 見事な切岸と堀切が魅力的でした

 連郭の城で郭間を区切る堀切に大満足ですわ

竹松城で満腹状態になりました

台風の影響で大気が不安定だったので城館探訪をきりあげて

伊那市の図書館で資料収集をしてきました

◎小原城と元穴城について

◎大徳王寺城について

◎北条時行の伊那の在所について

こんなことを調べてきました

 

●権殿屋敷

 帰りに高遠町藤沢地区に北条時行の屋敷と伝わる場所を見てきました

こんな感じで真夏の城館探訪は終了です

今年も長野県を舞台にチョイスしました

伊那市の城館探訪は10年ぶりくらいですが手持ちの資料が充実しているので楽しめました

 

仕事の話ですが今年の夏の繁忙期はヤバかったです

毎日の帰宅時間が12時前で何もする気ありませんでした

週一で休日がありましたが廃人ですわwww

もう二度とこっちに戻れないかと思いましたよ

 

やっぱり城館探訪、楽しいですわ

辛いことも嫌なことも忘れられます

何よりも解放感が半端ないwww

 

とにかくブログ再会できてホッとしていますわ

 

参考   伊那市史/ 歴史編

     高遠町史/ 上巻 歴史編

     長谷村誌/ 3巻 歴史編

     高遠町歴史地名ものがたり/ 高頭町地名調査グループ

     小原の地名/ 小原地名調査グループ

     富県歴史地名ものがたり/ 富県地名調査グループ

     高遠町の文化財/ 高遠町教育委員会

     伊那周辺の城館と村落/ 飯塚政美

     高遠城の戦い/ 高遠町教育委員会