鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅳ194] 心に荒野を持て(2) / 荒野でのイエスの実存

2022-11-20 09:43:40 | 生涯教育

「聖書」の荒野とは何か。鑑三翁は何ゆえ"荒野"に強い関心を抱いていたのか。最初にキリスト・イエスの荒野体験を記録した「聖書」の部分を掲げる。

「さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである』と書いてある」。それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と書いてある」。次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。」(マタイによる福音書4:1-11〈口語訳〉)

イエスが荒野に導かれ、悪魔からの様々な試練にあったことは、この「マタイによる福音書」の他に、「マルコによる福音書1:12-13」及び「ルカによる福音書4:1-13」にも記録されている。

さて、この「荒野の試み」とは、イエスが単独者として神に導かれて荒野に至り、そこに座して40日間もの長い期間にわたり、全き孤独のなかで悪魔(サタン)の邪悪な試みにあった記録である。

鑑三翁は荒野におけるこのキリスト・イエスの苛烈な試練をどう見たのか(長文なので要約する)。

【ドストエフスキーがかつて言った言葉がある。もし試(ため)しにイエスの言行に関係する記事がことごとく消滅しても、荒野の試誘(こころみ)の記事が残るならば、キリスト教は世の中に存(のこ)るであろう、と。すなわち”野の試誘そのものがキリスト教である”と考えても差支えないということである。また詩人ミルトンが『楽園の回復』(注:〈Paradise Regained〉はイギリスの詩人ジョン・ミルトン〈John Milton, 1608-74〉の手になる叙事詩)を創作するに際して、彼は野の試誘以外に主題を求める必要を感じなかったのである。彼にとってもまた野の試誘はキリスト教の全てであった。イエスはこの”野の試誘”によって世に勝利し悪魔を滅ぼされたのである。「御霊(みたま)がイエスを荒野に追いやった」(マルコによる福音書1:12)とは、様々な解釈をすることができる。イエスは自身が好んで荒野に行かれたのではない。御父の霊に強いられて他動的に行かれたのである。外部からの圧迫を言われたのである。または内心の刺激を指したのであろうか、もちろん知る由もない。彼がこの時に大問題に遭遇して、その解決の道を得ようとして人をさけて御父と共に在ることを求められたことは確かである。ある人がこう述べたことがある、「イスラエルの歴史は荒野を離れて考えることはできない」と。荒野は実にイスラエルの偉人の養成所であった。モーセもエリヤもアモスもバプテスマのヨハネも、その他全て親しく神と交わられた者、深く人生について考えた者は、全て荒野にこれを探るのが常のことであった。

誠に荒野は生産的には無用の地であるが、信仰的には最も有用の域である。エルサレムより東南数十㍄にわたり急傾斜をなして死海に下る所、これがいわゆる「ユダの荒野」であって、神が己を探る者のために備えられた天然の修道院であった。小石などが多くやせた土地(注:原文「磽确・ぎょうかく」)で不毛の無人の荒野である。

荒野は時には深山である。砂漠である。あるいは人の作った修道院である。このようにして山に退くことなく、または寺に隠れなくても、心のなかに荒野を作られて、身は都会の雑沓の地にあっても、霊は荒野に彷徨し悪魔に試みられるのである。キリスト・イエスを信ずる者は、誰でも一度は必ず荒野に逐いやられるのである。そのとき彼は何となく不安を感じる。人生が詰まらなくなる。恐れる。慄く。真っ暗になる。そのとき様々な囁(ささや)きが心の耳に聞こえる。実に彼にとっては永生の危機である。】(全集27、p.257-、キリスト伝研究〈ガリラヤへの道〉〈要約〉)

鑑三翁は、キリスト・イエスは四十日四十夜断食をし、飢えを耐え、獣に襲われ、情欲を克服したこと、そして悪魔がイエスを神と断絶させよう試みて失敗したことを記す。キリスト・イエスという神にして人間の実存が鑑三翁の一文から伝わってくる。


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