鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅳ195] 心に荒野を持て(3) / 自ら荒野に赴いたパウロ

2022-11-23 14:03:14 | 生涯教育

鑑三翁は、キリストの使徒たちや記者の手になる「四福音書」もさることながら、それ以前に書かれたパウロの著作物を高く評価している。パウロの手になる「ガラテア人への手紙」に関しては、次のように記して絶賛している。「この書はルーテル(注:Martin Luther、1483-1546、ドイツの神学者・聖職者。ローマ・カトリックから分離してプロテスタントが誕生した「宗教改革」の中心人物)が彼の鉄壁の拠り所とした書であり、この書があったゆえに16世紀の宗教改革は成功したのである」(全集17、p.346)。そして「ガラテア人への手紙」の「また先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビアに出て行った」(1:17)を引用して、鑑三翁が神の前に立ち神の声を耳にした経験を以下のように記す。パウロが出奔したこのアラビアも荒野の地であった。だが鑑三翁の荒野は近代人の都会の人心の廃れた無慈悲の砂漠である。

【 (パウロがイエスの使徒たちにも会わずに一人アラビアの荒地・砂漠に出かけて試練を受けたように) 私にもまたアラビアがあった。‥私もまた私の生涯のある時にアラビア砂漠に逐(お)いやられ、そこで直接神の御声に接したと信じている。そして日本のような人口稠密(ちゅうみつ)の国においては、砂漠は砂の砂漠でなくして、無情無慈悲の砂漠である。‥真のキリスト教信者は、アラビアの砂漠において学ぶのだ。この場所に響く神の細き静かなる声を聞くのだ。このようにして私たちは、すべて神に教えられて真の兄弟姉妹たり得るのである。本物(注:原文「真個」)の孤独を味わった者だけが本当に一致することができる。】(全集29、p.34)

パウロはイエスの弟子たちに会って、キリスト・イエスへの信仰を広く知らしめるために弟子たちと共同で布教計画を立てることもできた。しかしパウロは独り荒野に赴いて、単独者として神の前に立ち神と対話することを望んだのである。鑑三翁はパウロのこの行動を是とする。

そしてパウロは「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカによる福音書17:21)という事実を確認し、「わたしはここにいる、わたしはここにいる」(イザヤ書65:1)という神の声を確かめ、「神の前の祈りにおいて無となる」(キルケゴール)ことを修得しようとしたのだろう、と私は勝手に考えている。

因みに鑑三翁が記している預言者エリアに触れた部分を掲げておく。ここではエリヤが敵から命を救われる場として「荒野」が設定されているのが興味深い。

「自分は一日の道のりほど荒野にはいって行って、れだまの木の下に座し、自分の死を求めて言った、「主よ、もはや、じゅうぶんです。今わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」。彼はれだまの木の下に伏して眠ったが、天の使が彼にさわり、「起きて食べなさい」と言ったので、起きて見ると、頭のそばに、焼け石の上で焼いたパン一個と、一びんの水があった。彼は食べ、かつ飲んでまた寝た。主の使は再びきて、彼にさわって言った、「起きて食べなさい。道が遠くて耐えられないでしょうから」。彼は起きて食べ、かつ飲み、その食物で力づいて四十日四十夜行って、神の山ホレブに着いた。」(列王記上19:4-8)

ここでも”四十日四十夜”とされていることは興味深いが、往時はこの”四十”という数字に特別の意味を持たせたのかもしれない。諸説あるようだが、私はこれは単純に”とても長い期間のこと”と解釈しておこう。


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« [Ⅳ194] 心に荒野を持て(2) / ... | トップ | [Ⅳ196] 心に荒野を持て(4) / ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

生涯教育」カテゴリの最新記事