鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅳ196] 心に荒野を持て(4) / 荒野を喪失したアメリカ

2022-11-27 20:17:13 | 生涯教育

鑑三翁は1884(明治17)年にアメリカに渡った。アメリカでは一人の慈善家の援助でペンシルバニア州の障がい児施設で働いた。翌1885年にはマサチューセッツ州のアマースト大学に入学、翌年にはコネチカット州のハートフォード神学校に入学し本格的な神学の履修に入るも、病気のために退学し1888年には帰国した。

大きな希望をもってアメリカに渡った鑑三翁のアメリカ留学体験は決してこれに応えるものではなかった。だがアメリカ滞在中に鑑三翁は多くの優れたキリスト教の指導者、神学研究者、事業家に出会い帰国後も交流を続けた者も数多いた。

往時のアメリカは急速に経済発展を遂げ世界経済を牽引する役割も担うようになっていた。国家の宿命でもあった金銭万能主義が国の隅々まで浸透し享楽への価値観が世を覆っていた。教会世界もその影響は免れることはできなかった。教会は教会員製造機械のような様相を呈し、立派な教会建築を競い、立派な合唱隊、華々しさを競う教会親睦会、女性たちのバザーでは売り上げを競い、日曜学校はピクニックの参加者動員数を競い、クリスマスの動員数と華美さも教会間で競っていた。神学校もこのような教会行事に協賛して常に奔走している有り様。アメリカ国内では教会信者の獲得に問題を抱えている一方で、教会組織は多くの宣教師を育成し、海外の異教国に送り出す数を競っていた。

鑑三翁の三年半のアメリカ留学で得たものも大きかったが、その失望は鑑三翁を帰国へと急がせた。このアメリカ留学経験に関しては、鑑三翁の不朽の名著”How I became a Christian : Out of my Diary. By Kanzō Uchimura. 1895.“(日本語訳『余は如何にして基督信徒となりし乎』〈岩波文庫、1938初版〉) に詳しい。

この本で鑑三翁が記しているのは、アメリカの多くのキリスト教信者が、心の「荒野」を喪失している現実である。鑑三翁が目にしたのは、信者や指導者たちのファッション化した浪費生活と享楽が表裏一体となった生活だった。

鑑三翁の「無教会」への確信が育まれたのがアメリカ滞在の三年半であったのも皮肉なことではある。しかし一方ではこのアメリカ滞在によって「故国で洗礼を受けてから約十年の後に、本当に回心させられた、すなわち向きかえさせられた、のであると信ずる。」(同書、p.179)とも述懐している。ところが他方で「坊主となることがすでに悪い、しかも基督教の坊主となることは余の運命の終りであると考えたのである。」(同書、p.183) と記している。鑑三翁自身がアメリカ留学の評価をするにあたってジレンマを抱えていたことが伺える。

鑑三翁には留学したアメリカにおける享楽的生活と喧騒を伴う大規模集会における宣教のスタイルや、日本における宣教師の伝えるキリスト教、彼らによって信仰生活に入った信者たち‥これらへのどうしても得心できない「教会」「教会指導者」「教会組織団体」「神学研究者」に対する不信感があった。その結果「無教会」の信徒生活を是としたのである。この鑑三翁の思考の傾斜には私も共感を覚えている。

宣教のために来日した外国人宣教師に対する鑑三翁の手厳しい批判はよく知られている。日本近代思想史の碩学・武田清子氏はこのことに触れている。武田氏の論文「ミス・パミリ―との論争ーセクテリアニズムをめぐって」(武田清子:峻烈なる洞察と寛容 内村鑑三をめぐって. p.99-、教文館、1995) では、アメリカ外国伝道局の宣教師として日本で40年以上も宣教に従事してきたMs H.Frances Parmeleeと鑑三翁の間で行われた火の出るような論争に触れている。鑑三翁とパミリ―氏との間では多くの手紙が交わされた(注:全集には鑑三翁の手紙が掲載されている)。鑑三翁の死の3年ほど前のことだ。鑑三翁の彼女への批判のポイントは、宗教において自分が一番正しいとする立場を変えず、傲慢で、独善的、分裂的なセクテリアニズム(分派主義)等であった。パミリ―氏はかねてから鑑三翁の独特の(無教会)主義主張に強い関心を抱いていた。そして鑑三翁に”十代の子どもに対するようなモノの言い方で”鑑三翁の「内村教会とも称すべき新しいセクト」を批難する手紙を書いた。

鑑三翁は激怒した。そして彼女に対して猛然と反撃に出たのである。即ち鑑三翁は、アメリカ人宣教師の日本人に対する無礼、便利なときだけきょうだい・友人と呼ぶ偽善を指弾した。そして鑑三翁の指摘で何よりも重要なのは「あなたが生涯をささげて日本で働く宣教師であるならば、日本語で手紙を書きなさい」というものだ。

論争は中途半端に終わったが、鑑三翁の強い関心は彼女ら宣教師の聖書解釈に依存せず、日本人は日本人の心があるのだから、これを尊ぶキリスト・イエスへの信仰を持つことを訴えたかったのだ。武田氏の論文は鑑三翁の主張を寛容に受けとめ、日本人の精神性を尊んだ鑑三翁の立場への共感を示すものだ。

また武田氏は、日本近代思想史家として鑑三翁の「無教会主義」を次のように記し重要な視点を示していることにも触れておく(武田清子:背教者の系譜―日本人とキリスト教. p.112、岩波新書、1973)。

「内村鑑三を創始者とする無教会主義は、儀式、典礼、信条、会堂など、教会の制度によらず、神の言は聖書によってのみ与えられるものであり、救いは律法の行為によらず、信仰のみによるという立場に立つキリスト者のグループで、トレルチ(Ernst Troeltsch)がDie Soziallehren der christichen und Gruppen(1911)において規定するような意味でのセクト・タイプとしての日本的セクト運動ともいえると思うのであるが、日本のキリスト教会において長く異端視されてきた。しかし、無教会グループは、今日、日本のキリスト教界の「正統」と一応考えられるキリスト教諸教派、諸グループの中に位置を占めつつある。」

武田氏のこの指摘は私も強く共感するところだ。鑑三翁のいわゆる「無教会主義」は、様々に分派した日本のキリスト教(プロテスタント)世界に対して、聖書中心主義から新たな光を逆照射し続けている堅固な信仰グループと位置づけてよいと思う。その中核には内村鑑三の存在がある。


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